<玉井瑞夫繧繝彩色塾>

           ☆  ワンポイントレッスン (44) ☆          月例会先生評(2009年10月)                < 何をどうして、どうしたいのか >                 

 この玉井繧繝塾の例会も2001年6月にはじめて8年間、ぼくの体調が落ちるにつれ
て年間の回数がへってきたが、今月で44回になる。 
    
 ぼくはこの講座では、その折々にキーポイントとして、ちょっとしたテーマを前書きと
してきた。当塾ではメンバーの入れ替えも少なく、ようやくそれぞれ各自の特質もあらわ
れはじめ、今回はどんな作品が提出されるものか、それらを想像するのも楽しみだ。 と
いって全員がいつも絶好調というわけにはゆかない。 
     
 そんな事から、今回はその昔からモットーとしてきた言葉を前書きのタイトルとした。
各人各様かなり個性的な表現を見せるようになったが、避けて通れないのがマンネリで、
やがてスランプになりそうな塾生諸君への言葉である。 
    
   
  ぼくは、長い写真家生活を通じて、数々のスランプに見舞われた。そんな時自分に向か
って、『お前は、一体何をどうして、どうしたいのか』という率直で素直な問いかけで何
とかそれを乗り越えてきた。これは瑛九がいう「自嘲の精神をもて」に通じるものであろ
う。 
    
 人生には限りがある。自分の義務、責任を先延ばしするモラトリアム人間にはなりたく
ない。 
 つまり人間、生きがいを感じ、変身をする道は、辛いことだが「現状の自分をありのま
まで受け止める」ことに尽きる。そうした徹底した分析からポジティブな姿勢をみつけ自
分の活性化が始まるのだ。他人のアドバイスだけでは借り着になり、自信や実力にはつな
がらない。 
    
   
 今回は、塾生は作品提出と同時に、作者のコメントも提出してもらうことにした。そう
したコメントは、その作品における表現意図や技術的な問題などの明確化である。 
 ぼくは、各自の主旨に答えながらの講評になろうが、多分一緒に考えようといったこと
になるだろう。

           < 10月度例会講評 >         

    

「砂に描く」 吉野光男    

「黒いベールの女のいる風景」 吉野光男
   

< 作者のコメント >
           
「砂に描く」
 
   モロッコで撮影した砂漠の作品の前面の暗部に何か描いて見たい衝動みたいなものが
  ありました。 
    
   試行錯誤の末、2人の女性の横顔をモンタージュしましたが、先生からヒントをいた
  だき、男女2人の横顔に変えたので、異なった雰囲気が出たように思いますが、先生が
  イメージされた作品にはほど遠いと思います。
   
「黒いベールの女のいる風景」
    
   異世界の砂漠に人物を配置して異空間を創って見たいというイメージがありました。
 モロッコで撮影した黒いベールの女性が蜃気楼のように消え去ってゆく幻想性を表現し
 たく、シルエットの女性像を背景景の砂に溶け込ませるように半透明にしました。 
   
   しかし、この半透明のイメージは表現が難しく不自然だとの指摘が多く、リアリティ
  のある衣装を着た女性像と入れ替えました。この方が異文化の情感が伝わってきたと思
  います。 
   
   
 修正要旨
    
「砂に描く」
    
   女の子の線描は不自然で情感がないというご指摘をうけましたので、これを削除し対
  面に男性の線描をレイヤーで貼り付けました。
 対面の間隔をせばめることにより男女の情感を出して見ました。 
    
 先生から、池田満寿夫先生の絵3点を参考資料として送付していただき、ヒントを得る
 ことが出来ましたが、それらのイメージを作品化するのには時間がありませんでしたの
 で、今回はあくまで線描にこだわり修正作画しました。    
    
<  講 評  >  
  吉野君のモンタージュ作品は現在のところ、動物などをあしらった童話向きの要素が
 卆直、素直で楽しめる。だが、これをもっと強い表現を試みるには、さらに幅広く他の
  分野の創作物を見ること視野を広げることが大切ではなかろうか。 
    
  はじめ提出された「砂に描く」では、2人の女性のプロフィルが漫然と入っているだ
 けで、その意図を測りかね、例えば、かってこの砂漠を訪れたことがある1組の男女が
 メモリーとして、彼らのアルバムに残せるような情感あふれるモンタージュ作品にして
 はどうかとアドバイスした。 
    
  しかし、こうした夢のある作品は、相当のアイディアと技法を必要とするので、ふと
 思いついたのが池田満寿夫の人間像と作品であった。それを資料として送付したがすぐ
 には間に合わないようであった。 
  それらについては、別項で紹介しよう。

                 

「大統領府の案内嬢」 川崎了          

「天婆寺の少年僧」 川崎了           

「元解放軍兵士」 川崎了    
  

< 作者のコメント > 
  
 今回はベトナム旅行時のものです。体験した事のない暑さ、バイクの波、市場の喧噪に
と現地人の強靭な生命力を感じました。また、彼方まで電柱のない風景はどこまでも広く
自分の胸までが大きく膨らむような 気がします。 
 人々は湿気、雨、河、海などの”水”ととても上手く付合っているように感じました。
  
  
「大統領府の案内嬢」
  
  ベトナム戦争はこの大統領府に解放戦線旗が翻って終わりました。現在は統一会堂と
 して一般公開されています。真っ白なアオザイを纏った案内嬢に魅了され、休憩時に撮
 らせて貰いました。
  
「天婆寺の少年僧」
   
  ティエンムー寺と読みます。この寺では孤児が引き取られ、僧として育てられるそう
 です。少年僧特有の髪型に魅せられ、勉強中の房にカメラを向けてお邪魔しました。し
 かしそんな事に全く 動じる様子はなく再び書物を読みはじめました。
   
「元解放軍兵士」
   
  ホーチミン広場で出会った老人です。立派な体つきで、朴訥とした雰囲気の中にも意
 志の強そうな顔が印象的でした。胸の勲章はベトナム戦争時に捕虜になった数だけ付け
 ているそうです。皮膚の質感に気を付けて表現しました。     
    
< 講 評 >
  川崎君は、ぼく宛の別の文書で、「私は、こうした写真を単なる個人的な写真帳で終
  わらせたくないと思っています。」とあった。立派な志、大賛成である。だが、それが
 できれば立派なプロである。 
   
  こうした世界を相手にしたテーマは、相当に難しくプロ写真家が世界の国々をルポル
 タ−ジュするとき、一番効果を上げるキーポイントとして、どんな構想をもち、どんな
 展開をするかに腐心する。 
    
  そのために、その国の歴史、文明・文化の大要を知り、主なる博物館や美術館を訪れ
 さらに世界におけるその国のポジションへの配慮など準備やスケジュールもたいへんで
 ある。 
   
    
  今回の作品の選択、構成はわずか3点のフォト・エッセイだが、それぞれがベトナム
 の特質を語る立体的組み写真として、相当のレベルを持った表現として、高く評価でき
 るものである。 
    
  ぼくはベトナムへ行ったことはないが、遠くて近いような印象を持つている。 
   それは、ぼくがまだ若く写真誌の編集者当時、日本へやってきたマグナムのロバート
 ・ キャパとウエルナー・ビショップを知り、その素晴らしい作品を創る謙虚な人物像
 に非常な親近感を持っていたからである。日本で取材したキャパの35ミリのコンタク
 トを見たこともあった。 
    
  そんな彼等が日本からの帰途、いずれもベトナムに立ち寄り、取材中に相次いで地雷
 を踏んで亡くなったと告げられたとき、ぼくはこの狂った世界に言いようのない腹立ち
 と衝撃を覚え、暗然とした。彼等の最後の地となったベトナムは忘れ難い。 
    
  川崎君には、また続いてベトナムその他のフォト・エッセイを見せてもらいたい。

                    

「ススキ」 桑島はづき        

「廃屋の日没」 桑島はづき
    

< 作者のコメント >
   
「ススキ」 
  
  場所はいつも撮影を行っている石狩浜からそんなに遠くない、志美(しび)という場
 所の付近です。このあたりの海岸沿いは、石狩の中でも歴史が古い地区です。神社など
 は300年前に建てられたものもあるほどです。 
  かつては鮭やニシン漁で栄え、町の中心だったところですが、今はその頃の面影は残
 念ながらあまり残っていません。 
  ここに、かつて木材工場だったという大きな建物が廃屋としてまだ在ります。 
    
  本来は廃屋を主体に撮る予定だったのですが、横の野原のススキが夕日に照らされて
 いるところが思いがけず良かったため、こちらも撮ることにしました。 
  空の雰囲気を損なうことがないように、他とは離れたところに繁っていたススキの一
 群を選び、若干下から見上げるような構図で撮影しました。 
    
  Photoshopでは、ススキのシルエットが映えるようにコントラストを少しだけ上げ、
 トリミングを行いました。    
   
< 講 評 >
  「ススキ」は、よく撮れてはいるが、これだけでは標準型でものたりない。 
  ぼくはこの写真を見た瞬間、ブレていてもいいから白い犬でも走っていればもっとパ
 ンチのある画面になっただろうと思った。そのフォルムによってはシュールな作品にも
 なる。 
    
  こうした風景では、足し算と引き算がある。たとえばこの場合でも、足し算としての
 犬が大型犬のアフガン・ハウンドなどなら犬が主役で、このススキは豪華なバックにな
 ろう。 
     
  引き算の場合は、饒舌で無駄なところを差し引き、この場所の骨格を明晰にした構成
 をすること。骨格を明晰にするポイントは、季節、天候、時間帯などの選び方になる。 
  雑物を切り捨てることでダイナミズムを生み出すとみてもよい。。 
       
  それよりも桑島くんが、前々から興味を持ってきたという古い歴史ある廃屋などの現
 場をしっかり見つめることの方が大切だ。 
  折にふれ、これら建物の残骸の内外をしっかり見つめることによって、表現すべきキ
 ーポイントがわかってくるだろう。感傷的な外観の表現ではスケールが小さくなる。 
  
  次にはそんな作品を期待したい。
                 

「猫の階段」  成瀬幸恵              

「カウンターの猫」

              

< 作者のコメント >
  
「猫の階段」
     
  撮影したのは「猫カフェ」と呼ばれる、アンティークな小道具がたくさんある喫茶店
 で猫が数匹います。客は猫がうろつく中でコーヒーをいただきます。 
  写真は猫専用の小さな階段で、その奥に人間用の階段が二階に続いています。 
    
「カウンターの猫」
    
  カウンターに座っている猫は、客が本来は飲み物を置くテーブルであり、しかし猫に
 とってはここは自分の家ですので悠然と鎮座しております。 
   
  猫は尻尾の動きや姿態そのものも面白く、表情がミステリアスあるいはユーモラスで
 あり、その千変万化な魅力を撮りたいと思っています。 
    
  動物写真家岩合光昭さんの撮る猫が大好きであり、宮沢賢治さんの作品に出てくる猫
 や心理学者の河合隼雄さんの「猫だましい」というエッセイも好きで、猫の奥深さを写
 真に表現できればと思っています。 
   
  反省点としては、場所の面白さを活かせず、主役の猫の毛の質感やまなざしの美しさ
 を捕まえることができなかったこと。 
  小道具が雑多になってしまい、組み合わせとしての面白さが活かせなかったことです。
    
< 講 評 > 
 
    ぼくは猫は飼ったことがないので、何とも言いようがないが、猫好きの友人、知人は
  ほとんどが自からを、「猫気狂い」「ネコキチ」と呼ぶ。 
    
   「そして、猫は尊大で気位が高い」がそれが可愛い。「でもお腹が空くとすり寄って
  くる」、 それもまた可愛いという。いずれにしてもすべてが可愛ということになる。 
    
    そこで、犬好きのぼくは、反論のつもりで、「猫は突っぱり屋で、悪魔的なところが
  ありはしないか」というと「うん、あるかもしれない。」という。「ならば、猫好きな
  君も同類項で悪魔的なところが・・・」と言いかけると、「玉井さん変なことを言わな
  いでくれよ」で、大笑 いで終った。 
   
    
   余談が先になってしまった。 
   ぼくにとっては、この「猫のいる階段」は、、とても今時の風景とは思えず、明治/
  大正を思わせるやや尋常でないところが気になる作品である。 
    もしぼくが撮るなら、鬼気迫るあるいはユーモアあふれる作品を狙うだろうと思った。 
  つまり醜の美学である。 
 
    成瀬くんのいう猫のミステリアスあるいはユーモラスな表情。その千変万化な魅力と
  はどんなものか。そんな決定版を見たいものだ。 
   
    また、猫知らずのぼくは、この珍奇な場所の猫好きの店主なら、猫たちに何か変った
  ことをやらせることが出来るはずだ。 
    演出家の蜷川幸雄並みに、数匹の猫を使って不思議な猫舞台を見せるというのは難題
  として、例えばそれぞれひと癖ある猫全部を一つの箱に押し込んで、それぞれが顔を寄
  せ合った顔だけのクローズアップではどんな顔つきをするのだろうなど考えた。 
 
    成瀬くんは、簡単な演出として、時にそんな話を持ちかけ、そんなチャンスに視覚的 
  名作〈迷作〉作りを楽しむのもよかろう。

                           

「雑草」 岡野ゆき        

「玉ねぎ」 岡野ゆき

   

< 作者のコメント > 
   
「雑草」
    
  出勤する途中にあるほったらかしの空き地に、日々成長する雑草たちを見つけ、色々
 な草のフォルムに心惹かれていました。ある程度背がそろって、新芽の美しいグリーン
 が見事なコントラストを作り出し、ひとつの「風景」を作り出していたのに感動し、シ
 ャッターを切りました。 
    
  私にとってその風景は、昔から空想したり絵本の中で見たどこか懐かしいもので、現
 実から切り取られ、時間さえもが止まっている独立した空間として表現したかったので、
 フォトショップで色相を静かな色に変えました。 
     
    
「玉ねぎ」
    
  収穫したての玉ねぎのフォルムに、力強さ、命のたくましさを感じました。いつもの
 私だと、背景に色紙を置き、シンプルにグラデーションだけで表現するのですが、今回
 は、力強さを強調できる背景を選びました。フォルムに流れも感じたので、そこが損な
 われないように置いて撮影しました。   
   
< 講 評 >
  「雑草」は最後の仕上げとして、色相を変えてあり、これ以上はないという選択で作
 者の目的に達していると思う。 
  写真学校の講師をしている時、自然物の撮影時、色彩のコントロールは、是か非かの
 問題で、自然を損なうというものと、抽象表現なら構わないという2派にわかれての論
 争に立合ったことがある。 
   
  ぼくは、前提として、「まず、これらの最後の判断は、その作品に心に響くものがあ
 るかどうか。作品は理屈で鑑賞するものではない。作者の想念の自由さと一気加勢に成
 し遂げる集中力と表現力があるかどうかだ。」と話した。彼らの答えは「目的が植物図
 鑑でない限りOKだ」となった。 
    
  「玉ねぎ」は、なにも言うことはない。バックの選択もよい。正統派の佳作である。

                    

  

「峠道」  嶋尾繁則             

「ハイキーな夜景」(試作)  嶋尾繁則    

「Osaka City Night」(原画)

              

 < 作者のコメント >
     
「峠道」
 
  この作品は滋賀県と福井県の県境の小入峠という峠に続く道で、尾根上に走る道は小
 波の様なリズムを感じさせ、ユニークな場所だと思いました。
  撮影時期は、新緑の頃で爽やかな朝の光が差す時間帯に撮影しています。
   
「Osaka City Night」
   
  大阪駅周辺の夜の街を撮影したものです。東京の様な超高層ビルが立ち並ぶといった
 街ではありませんが、高層ビル、橋の灯りが夜の大阪の街を照らして夜の賑わいを醸し
 出しているようです。 
   
  撮影位置は淀川の対岸の堤防から、ちょっと手前に木が在ったので前景が単調になら
 ない様にシルエットとして、木を入れてみました。   
  
< 講 評 >
  「峠道」は、嶋尾君らしい手慣れた作品で、この視覚はヘリコプターから撮ったよう
 に見える。
   
 「大阪駅周辺の夜景」は、普通の写真より明るいグラデーションでの表現が目についた。 
   
 「ハイキーな夜景」(試作) 
  ぼくはこの夜景を見た瞬間、ほとんどディープ・シャドウがないビル街の美しさが連
 想された。そして、しばし眺めるうちに味気ない前景(シャドウ)の代わりとして、こ
 の画面の遠くに見える橋の方へ場所を移し、橋上に立ち並ぶ明るい街灯を前景としたデ
 ィープ・シャドウのない全面ハイキーな夜景がイメージされた。 
    
  そんな写真は見たことない。というなら、なおさらやってみたい。という人はいない
 だろうか。 
    
  そこで、ぼくは作者に断って、このシーンでも参考になりそうな構想として、それを
 フォトショップで試作してみた。 
  原画での暗いシャドウは、この画面構成では多すぎ、逆効果に働くのでカットしてあ
 る。そのほうがスケールが大きくなるからだ。 
    
  (まだ現場へ行かぬ前から、街灯を前景とした構成で、ビルとの比率をどんなものと
 するか、レンズの長短の選択など思案するのは何時ものことだったが、それも遠い昔の
 ことになった。) 
   
 (トリミングによる効果の錯覚はよく見かける。要注意。)

                   

「とんぼ!」 上田寛         

「なかよし」 上田寛       

「桜の木の下で」 上田寛    

    
 
< 作者のコメント > 
    
 「なかよし」では、画面の窮屈さを緩和するようなトリミングと目障りなハイライトを
 抑え、逆に肌のトーンを再調整しました。 
   
 「桜の木の下で」は、上下をカットしてバランスを取り直し、暗く重たいシャドーを緩
 和させ、楓華と妻の顔のトーンの分離を行っています。 
   
 「とんぼ!」では、全体の明るさの再調整を行い、顔の明るさと背景の明るさのバラン
 スを取り直しています。このとき、トンボの右の羽が消えてしまわない様にしています。 
   
  子供の写真を撮る時は、子供は顔、身体の表情が大事だと考えています。また、でき
 る限り写真を撮るときは、子供の注意が自分に来ないよう注意しています。難しいのは
 自分の思うところ、思う位置に子供はいない事です。そして、一瞬でそのチャンスが失
 われてしまう事です。    
    
< 講 評 >
  
   「とんぼ」の写真は、大人の手が大きすぎるとは思ったが、自分の右手にトンボを持
  ち、左手にカメラを持って写したとの説明があるまで、ぼくは気がつかなかった。 
   
  今回の写真は、子供にカメラを意識させず自然な表情がよく撮れているが、ライティ
  ングとカメラ位置のわずかな狂いからの煩雑さを、かなり修正された跡が見られ、ご苦
  労さんと言いたい。 
     
   これほどの親ばか写真をうけとれる楓華ちゃんは幸せだ。でも本人が成人してもその
  辺の機微はわからない。写真だけでなく、それらが分かるメモ、上田君直筆の親バカ日
  記も残しておいてあげるのもよい。彼女の結婚式の席上で、それを読み上げるのもわる
  くない。 
    
  肝心のカメラポジションのことでは、ユージン・スミスいわく 『1インチの狂いが
  名作と駄作を分ける』 という名言を、再度頭に叩き込んで忘れないよう。 
    
  楓華ちゃんも早くも3歳。この講座に出た過去の写真を振り返ると、表情がしっかり 
 と変わってきていることがよくわかる。我が家の孫は男ばかり。女孫もほしいところだ。

 

   

   

「別苅漁港」 横山健

   

       

「出港する若漁師」 横山健

「岸壁作業」 横山健

「魚をはずすお袋さん」 横山健
    

       

「船上の親父さん」 横山健
    

< 作者のコメント > 
  
  去年の冬に北海道の漁師を取材する機会を得ました。一週間近く増毛(ましけ)町の漁
 師の家へ通いましたが、冬場の増毛は強風がいつも吹いており、海は荒れ、まともに漁に
 出ることができたのは一日だけでした。
  「板子一枚下は地獄」と云いますが、機器が発達した現代でも冬の漁はなかなか厳しく
 実際に私がいる間に別苅漁港の漁師が海に落ちて1人亡くなりました。
 冬の漁の厳しさを感じつつ、それがそのままだせるのかと思いながら撮影しました。
    

「別苅漁港」
  
  北海道増毛(ましけ)町は日本海に面した小さな港町だ。冬のこの町は風で飛ばされる
 ので屋根の雪下ろしをする必要のない程、強い風が四六時中吹いている。灰色の重い雲に
 押し込められて、晴れの日はあまりない。別苅漁港は増毛町のはずれのどん詰まりのよう
 な山のふもとにある。なぜこんな場所に作ったのか、と不思議に思うような崖の下にある。
    
「出港する若漁師」
 
  冬の漁は朝6時頃に出港する。揺れは大きく、舷側は低く、慣れてない身には歩くこと
 もままならないが、息子漁師はてきぱきと網を巻き上げる準備をする。
    
「岸壁作業」
  
  港には母と嫁が待っていて網の入ったカゴを上げるのを手伝うのだが、この日はなぜか
 嫁が来ていなかった。父は「漁師ってのは家族がまとまってないとできないんだ」としみ
 じみ話し、母は少し不満そうだった。
   
「魚をはずすお袋さん」
  
  番屋と呼ばれる小屋で、網から魚をはずす。冬はカジカ、カレイ、ヒラメがかかる。こ
 の後からんだ網を解きほぐして作業が終わる。
    
「船上の親父さん」
   
  この漁師一家は父と息子の二人で漁に出る。冬は刺し網漁をする。冬は海が荒れるので
 一週間漁に出られないことはザラだ。一本目の網を巻き上げていると明るくなってきた。
    
< 講 評 >
  横山君はここ数年、僻地モンゴルでの厳しいルポをしてきたので、この取材でも勘どこ
 ろをはずさず要領よく押さえている。 
  息子一人と両親と息子の嫁の4人の、厳しいが力を出し合っての確かな日常生活がスト
 レートレートに伝わってくる。 
   
  構成は、彼の「この漁港は町はずれのどん詰まりのような山のふもとにある。なぜこん
 な場所に作ったのか、と不思議に思うような崖の下にある。」という特異な風景と悠然と
 した父親を前後に置いた組みかたで、視覚的にもよくまとまり、解説文も素晴らしく、ぼ
 くが言うことはなにもない。横山流の立派なフォト・エッセイである。

                      

   

「翠光の桜」 西浦正洋     

「花火」(原画) 西浦正洋

「桜」(原画) 西浦正洋

           
< 作者のコメント >
  
「翠光の桜」
    
  写真の主題は、有名な奈良の”又兵衛桜です。
  完全逆光でシルエットになるように撮った「桜」の写真(原画)と、私の中で夏の恒
 例となった花火の手持ち回し撮りでの「花火」写真(原画)を組み合わせて背景を創っ
 ています。
  背景の色調をどのようにするか迷ったのですが、今回は緑系の色にしてみました。 
    
  それは緑で、オーロラをイメージさせられないかと、イメージに合いそうなパターン
 の花火を選び、色調等のコントロールをしています。また、主題の桜もコントラストを
 上げて、花(というよりは梢)の感じを強調してみました。
  
  土台の黒い部分が、アシンメトリーなのが少し気がかりではあるのですが、枝振りも
 完全には対称ではないのでそのままにしておきました。
  当初は完全に夜をイメージしていたのですが、巨大なオーロラが空を覆うと、周りが
 明るくなると聞いたことがありましたので、背景から光が向かってくるようなイメージ
 で、奥行きを出すことを考えてみました。
  
   
  作成のプロセスは、下記の通りです。
 原画(主題)のコントラストを上げ土台部分を潰すとともに、空のグラデーションを出
 す。その後、空の色相を緑に動かし、花の部分については若干赤みを加える。 
  背景となる花火の写真についても色相を緑側に動かす。
  花(枝)の部分のマスクをつくり、背景と合成。主題、背景のバランスを考えながら
 それぞれのレイヤーで色相、彩度の調整。最終的に各レイヤーを統合し仕上げています。
  
    
< 講 評 >
  彼の話では、ここ数回の例会への出品は、いつも背景を創作する(無いものを描き出
 す)ことが多くなっていたので、最初から背景を意識して作品づくりをしてみたものだ
 という。 
   
  こんなバック作りは珍しく、しかも彼独自の特殊技法で要領よくことが運ぶ。ここま
 でスマートにできれば、大伸ばしにしても見ごたえは十分であろう。ぼくがいうことは
 何もない。秀作である。次への習作が楽しみだ。
                         

「夜桜1」 大住恭仁子

「夜桜1」(原画)  大住恭仁子
      

< 作者のコメント > 
    
「夜桜1」
   
  今年の春から福岡市が大濠公園の桜をライトアップするサービスをはじめ、3月下旬
 の公園内は、連夜、屋台が出て、飲めや歌えの宴会騒ぎです。 
  夜、撮影に出歩くのは怖いものですが、こんなチャンスはないと勇気だして、モノク
 ロの夜桜撮影に出かけました。 
   
  撮影にあたっては、職場が近いので何回も下見をし、満開で無風の夜を選びました。 
 結果は予想どおり、桜の花弁の明るさから、夜の暗さまで、思ったよりはっきり出まし
 たが、コントラストが強すぎるような気もしています。 
   
  日頃、玉井先生からも、全体に焦げて品が失われているとのご指摘をいただき、いつ
 も言われているグレーのグラデーションは、夜の撮影でも、大事なのかと、考えをあら
 たにしました。   
     
< 講 評 >
  大住くんのいうグラデーションの問題をわかりやすくするため、原画と修正を掲載し
 た。写真は光がなければ写らない。画面上方の街灯は唯一の光源だが昼間の太陽とくら
 べるとコントラストが強すぎて、さくらのデリケートな花ビラを表現するのは困難だ。 
    
  修正画面のグラデーションは、非常に緩やかな傾斜にしてあり、階段でいえば原画が
 60度とすればなら、これは30度にした階段を想像してもらえばわかりやすい。大住
 くんの階段は急階段でステップも少ない。つまり硬調なプリントになっている。 
   
  自分でモノクロ現像をしたその昔は、こんな被写体の場合、露出はたっぷり、現像は
 あっさりで、肉乗りの薄い非常に軟調なネガ作りが常識だった。 
    
  この場合は、フォトショップでコントロールしているが、花ビラは原画より一段明る
 く桜の持つ華やかなデリカシーな雰囲気が表現されている。下部にある光源の映り込み
 はカットしたほうがすっきりする。 
  この作品につて、塾生関の批評の中で、「時間が止まったような静寂が写っている」
 という感想があったが、そんな見方も結構である。

                 < 池田満寿夫について >               

「 白い牛 」 池田満寿夫 1997

「 陽光のように 」 池田満寿夫 1981

「 炎の祭り 」 池田満寿夫 1991

「 セーヌ河畔の娘たち 」 池田満寿夫 1971

       

   
 
 池田満寿夫(1934〜1997)は、瑛九のところへ足しげくやってきた我々15人ほどの若 
い仲間のうちでも、何を言い出すやら、何をやりだすことやらわからぬ男だった。 
(満寿夫は書き難らく、彼の通り名はマスオで、誰も池田満寿夫と呼ぶものはなかった。) 
   
 しかし、とにかく、その後のマスオは、20世紀後半の日本を自由奔放に駆け抜けなが
らその才能を幅広い分野で発揮した。 
    
    
 彼は、ベネチア・ビエンナーレで国際大賞を受けたような版画だけでなく、画家、彫刻
家、陶芸作家、芥川作家、エッセイスト、浮世絵研究家、脚本家、写真家、映画監督・・
それに加えて、テレビのクイズ番組やトーク番組の司会、講演にイベントにと多彩な顔を
もつマルチアーチストだった。 
    
 マスオは年代によって別人のように変化した。独創性を重視し、絶えず新しい表現を求
め、変身を繰り返した。 
    
 彼の芸術思考は西洋美術に力点がおかれているように見られているが、その根底には水
墨や浮世絵など日本の伝統も隠されていた。 
   
   
 彼は1990年ころから、パソコンも使い始めたがそれをそのままプリントしないで、
そのプリントを見ながら、手書きで油絵具やリトグラフで作品を仕上げていた。
 「炎の祭り」など何とも不思議な抽象作品がそれであろう。 
    
 ぼくは、こういう男の頭の柔らかさを、その人柄、その作品から学んで欲しいというこ
とで、その作品の一部を吉野君に紹介した。 
         
 ここに紹介する作品をみても、自由闊達その多彩さが窺われよう。 
      
       
 余談ながら彼の画集を引っぱり出している時、何時貰ったのか記憶はないがマスオが書
いた一冊の本が出てきた。 
 マスオとパートナーの佐藤陽子さんは大変な犬キチで、後半生を共に過ごした20匹も
の犬たちとの生活を、『しっぽのある天使』というタイトルで書いている。彼の日常生活
が赤裸々にわかるが、これがめっぽう面白い。彼の人間性を知るためにも一読を薦めたい。

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