<玉井瑞夫繧繝彩色塾>

           ☆  ワンポイントレッスン (34) ☆          月例会先生評(2006年4月)                再び < 他流試合のすすめ >                 

「玉井瑞夫インターネット写真展」というフォト・ディレクター概論をベースにした写真
講座を開いて足かけ6年。その1年後から始めた<玉井繧繝彩色塾>の月例会は、5年を
経過し34回目になる。
      
 思えば遅々とした長い年月であった。講座の方は、ぼくの自分史を兼ねたこところから
僥倖運もあって入会できた丹平写真倶楽部での月例会や特殊表現技法を詳述したことが、
たまたま戦前からの関西の名門といわれた前衛団体の実態を明らかにすることになった。
 また、その後ぼくが写真誌の編集者になり、土門拳その他多くの写真家の取材現場に立
ち会ってきた体験談なども備忘録として率直に書き連ねた。
      
 これらをホーム・ページ上で、目ざとく見つけたのが美術館の学芸員の方々で、彼らは
「多くの著名な写真家が何もしゃべらずに他界し、自分史を書いた人も少なすぎて、わか
らぬことが多すぎる。」、「写真の歴史はまだ160年に過ぎず、小さな出来事の積み重
ねが歴史になるわけだから、玉井さんも眼の黒いうちに、そんな裏話をぜひ書き残してお
いてもらいたい」ということになった。
 更に、インターネットという顔を見られないPC上での写真塾の月例会で、どの程度の
成長がみられるかなどと、そんな提案をする学芸員もいて、この塾は続けられた。
     
 ぼくが「遅々として」というのは、当初から予想されたことであった。
 作品を目の前にしての視覚造型での討論は、小説を読んだり、音楽を聞いたりする場合
などとは比較できない。たとえば、デスク・トップ撮影のライティングなど、光の微妙な
読み方は、スタジオなら一目瞭然、まさに「百聞は一見にしかず」、超短期間で会得でき
る分野もあるからだ。
     
    
 さて、ぼくは塾生諸君のここ1,2回の提出作品を見て、ようやく塾生個々のオリジナリ
ティらしきものが見られるようになったと感じた。しかし、それがより多くの人々、人種
が違っても視覚言語として、世界に理解され通用するものかどうか、もしそれが方角違い
ならノレンに腕押しになる。そんな確認も含めて、そろそろ<他流試合>を試みてもよい
時期がきたとぼくは思った。
       
 その究極は、自分のポジションを知り、視野も世界へ拡がるということである。
                                    
 こうした問題については、その理由を講座の<Part 23>に詳述してあり、ここで
は省略するので、必ずこれを読み返し参照しながら考えてもらいたい。
      
 今回の月例評には、これから他流試合に臨むとき必要となる率直なキーポイントをつけ
加えながら、やや辛口で述べることにした。
 もし、これから応募するなら、月例に提出した作品ばかりでなく自分の全作品からの自
信作のほか、魅力を感じながらレベル不明の作品も併せて応募するのがよい。瓢箪から駒
といった例もある。
        
 コンテストなどへの応募注意などは、巻末にメモしておく。

                 < 4月度例会講評 >               

      B      

 原画

「斜光」 嶋尾繁則

 ぼくはこの写真を見た瞬間、これを作品として鑑賞するよりも、ぼく自身もこの現場に
立っていて、「さて、どう撮ろうかな」といった気分になった。と、ほとんど同時に、こ
こに掲載したA.B.二つのフレームの映像が脳裏に浮かんだ。
    
 つまり、この原画はリアルな材料であり、格好なトリミングの例にも見えたのだ。
 写真自体は、この作者が長年風景を手がけてきただけに、ひとつのレベルに達しており
別に悪くないが、こうした構成はどこかで見たような、ややマンネリの印象がある。塾生
間のメールによる感想、討論でもこの黒のスペースが問題になっていた。
    
 この場合では、真四角なフレームで、水面の輝く光に集中した構成のほうが、簡明率直
な表現となりスマートではなかろうか。また、多数の写真が並ぶコンテスト会場では、こ
うした臨場感の強いトリム、構成の方が有利でもある。
 ぼくは、丹平グラブ時代は35ミリカメラで風景は横画が多かったが、プロになってか
らはカレンダーやディスプレーのためにスクウェア、真四角画面の要求も多くなり、常時
スーパー・ワイドを含めた3台のハッセル・ブラッドを愛用していた。
     
 全く同じ場所が季節と気象(風雪,荒天)、アングルを変え、フレームの工夫で相当異な
った風景にかわることもある。いわゆる只の風景写真から脱出するために、フレーム考察
もまた大切だ。ぼくはコンテストの審査で、そんなユニークなフレームに教えられること
もしばしばあった。
   

        

原画

「余韻」 成瀬幸恵
  

   

 クリスマスの夜のUSJ会場での撮影とか。「余韻」というタイトルは、楽しかった宴
の後といった意味だろうか。少しブレた2人の人物がかもし出す情景が狙いとすれば、や
や不燃焼だ。
   
 舞台は揃ったが役者がいない。この家の扉を開いてに出入りする人や通行人など、ある
いは人物に限らず犬猫でもよい。この舞台を成立させる協力者、コラブレーターがほしい
ところである。それはシャープな人物像でなくても、ブレた人物でも、何でもその夜のパ
ーティ、ドラマを追憶させるものが必須の舞台であった。
    
 三脚を立て、カメラ・ブレを注意すれば、ポジ・フィルムでの多重露光やスロー・シャ
ターでのブレた抽象的な、或いは意外性のある人物表現によるすばらしい作品もある。
 (ぼくの作品でいえば、Part 28の「看板」の人物がこれに近い表現である)
    
 ついでながら、こうしたディズニーランド風の場所(催物)での建物そのものの写真は
あまり意味がない。ハウステンボスなどもその施設はヨーロッパの模造品に過ぎない。
 それが例えばイタリアにあるパリーの凱旋門の原型となった門などなら、規模は小さい
がそこには歴史的価値があり、そんな建造物の造型美ならコンテストに出品できる。
古代ローマからの伝統か、パリーでのファッションの原型は、現代でもイタリアのミラノ
などでよく見かけた。

原画

「壕」  大住恭仁子

 これはかなり難しい写真である。
川向こうの土手にあるちょっと風変わりなフォルムをした潅木風の立ち木達が主題である。
これを通常なら横画で撮るところを、意欲的な表現として、フレームを縦画にし、上部の
空間処理を桜の枝のあつかい方で何とか構成しようとした作者の意図はおおむね成功して
いる。
    
 全くの初心者は気がつかないが、少し写真をやる人ならこうした構成は、結構とまどう
撮影になることを経験するだろう。
もう少し被写体がユニークなら相当見ごたえある作品になり、コンテストにも出品できる
だろう。でも、このプリントの手荒さのままでは、最後のランクづけの段階で落選になり
かねない。
      
 そこで、ぼくはちょっとだけ手を入れてみた。それは原画と比較してどこが違うのか、
しっかり見て体得してもらいたい。ぼくが神経を集中したのは、フォルムの明確化で、土
手の草とそこに落とす木の影と木そのもの明確なトーンの分離など、覆い焼きによるグラ
デーションのコントロールである。また微妙に光る水面の輝きにも配慮した。
       
 この原画は、このテーマのキーポイントになる大切な部分を単純なシャドウ一色にして
しまって木の影のフォルムも定かでない。ハーフトーン以下のシャドウは3段階くらいに
正確な分離が必要だ。きれいなトーン・バランスは味わい深く、品位も出てくる。
   

              

「アラファトの葬儀」   横山健

 写真というものは、戦争や動乱の概念は撮れないが、一人の兵士がどんなふうに殺され
たかを撮ることはできる。その出来事の実体は写真によってよみがえり、現在と歴史との
接点をくりかえし指摘する。
    
 パレスチナ自治政府のアラファト議長の死因をめぐっては「毒殺説」が広まっていると
か、その死は重大な損失を招くとキリスト教指導者が言ったとか、日本でもかなり複雑な
ニュースが流れた記憶はまだ新しい。横山くんのこの写真もそんな一コマであろう。
    
 そんな意味合いから、この写真は重要なキーポイントの一枚としてもっと執念深くアン
グル、ポジションを変え、納得のゆく写真を撮るべきであったとぼくは思う。
     
 塾生たちの例会評でも、手前の侵入防止のロープの扱いが問題になっていたが、ルポル
タージュでは原則としてレタッチは許されないが、その真実を曲げない限度で、これを目
立たなくする修正は許される。
 ぼくの弟子でニューヨーク・タイムスの日曜版に載せるファッションなど街中での撮影
を要求された場合など、バックの邪魔な電柱や電線など整理部のベテランが、後の修正で
目立たなくしてくれるので全神経をモデルの動きに集中でき、かえって楽だったといった
話を聞いたこともある。
   

      

原画

「夕景」 藤本茂樹

 落日というものは、どのような場合でもおおむね美しいものだ。この写真もかなりよく
撮れており、モネの「夕焼け」のような青空の反対色オレンジの幅広い色相をみせた典型
的なカラー写真である。
     
 これがコンテストの出品なら、すっきりしたコントラストで目立つだろう。でも、これ
が最後までの残るかどうかが問題だ。
 ということは、最初の荒選りからその何分の一まで何回も見直されてゆく間、その魅力
が続くがどうかである。
       
 そんな審査の経過を考えるとき、この写真の雲とシルエットの建物との構成が単なるパ
ターンに過ぎないと見え始めたら、その時点ではずされてしまう危惧がある。
    
 そこで、ぼくの経験則からいえば、このスカイ・ラインの中でも、3機のクレーンと妖し
げなこの雲との対比によるせめぎあいの構成など明確なテーマを持ったほうが、ずっと迫
力のある画面になるだろうといったことを見せるため、このままの条件では無理を承知の
上でのトリミングを見せることにした。
 次のチャンスにはそんな視覚で臨めば、雲の変化や時には鳥が飛び込んで来るなど、臨
機応変の対処で相当ダイナミックな迫力のある作品ができるはずである。

      

「赤い月とチューリップ」  西浦正洋        
  これは写真的ボリュームを極度にセーブした不思議な撮影、構成である。写真というよ
りもグラフィカルな印刷物を見るようだ。
 あまりに変わった月とチューリップのバランス表現から、ぼくのイメージは一足飛びに
竹取物語の世界を連想させた。
    
 写真としてのボリュームを感じさせないところは、イラストレーターやグラフィック・
デザイナーが扉やチラシでこんな構成をするのをよく見かけたものである。大きなポスタ
ーなどにするとボリューム不足でもたないが、こんなソフトな写真を高級な宝飾品のカッ
トや挟み込みに使うとすっきりした上品なDMができるだろう。
     
 これを写真コンテストに応募すると、入賞するかどうかはわからないがやってみる価値
はあるだろう。またデザイナーの友人などあれば、新聞社が毎年やっている企業広告のコ
ンテストへの共同制作としての応募もわるくない。
       
 西浦くんのスキャナーによる試作は、どんな公募展がとりあげるだろうか。
単体ならAPAなどが浮かんだが、ぼくなどが審査していた時代なら間違いなく取り上げ
ただろうが、現在の様子はわからない。とにかくどこかへ応募してみることで、それなし
では何事もはじまらない。
   

「ガーベラ」  上田寛        
 上田式ミラクル・バックとでもいおうか、テーブルトップ・フォトでもこんなバックを
使った花の写真はほとんど見かけない。一般のアマチュアが応募する写真雑誌に出品して
審査員の反応を試してみるのも面白い。
    
 ただ、この写真の場合はややもたついて暑っ苦しいので、ローキーとハイキーの2種を
花の種類も変えて、スッキリ・スマートな写真を創って応募してみたいところだ。
      
 ぼくは、丹平クラブに入会当時、ちょっと変わった写真ができたとき、こんな変な物を
提出すると皆さんから笑われるのではといった心配でかなりためらったことが多かったが、
半年も経つとまな板の鯉といった気分で何でも出品し、スランプを克服することもできた。
 

「隙間なき春」   桑島はづき

 この写真に、こんなタイトルがつけられていることでは、意味不明だったが、塾生間の
自分の写真についてのメールを読んで、やっとその理由がわかった。
 短歌に自分の思いを託してきた作者は、自分が読んだ短歌の言葉をこの写真につけたと
いう。でも、ぼくには違和感があってこのタイトルでコンテストに応募するのは、問題が
あるとおもった。
    
(彼女の自作短歌「隙間なく敷きつめられた青空のようにあなたは完璧すぎた」から空を
 春にかえたという。この短歌は彼女らしいセンスと素直な気持ちが表れたなかなか良い 
 作品だとぼくは思うが、この写真でそれを表現するのは飛躍しすぎて無理である)
      
 自分だけのアルバムなら、どんなタイトルをつけようと差し支えないが、多くの第三者
に見てもらう場合は、その写真にふさわしい導入部、あるいは主題としてのわかりやすい
題名が大切である。
 タイトルのつけ方は、本当に難しいが、文学的なタイトルは、その多くがしゃれている
と感じる場合よりも思わせぶり、曖昧と見られて落選となることもあり、世界各国向きに
も通用しないことが多い。また、1枚の写真を応募毎に、タイトルを変えると多重応募と
みられ、排除される。
     
 世界中の人々にもわかりやすいタイトルをつけ、後にこれを変えることはできないこと
を知るべきである。つまり自分の子供につける名前と同様な配慮が必要である。
       
 ところで肝心の写真のほうだが、この作者は趣味は短歌、音楽はテルミン奏者といった
ことからか、すべてフィーリングで風景を撮ろうとする。そのために、写真の三大特性を
活かすフォトジェニックな視覚表現に今一歩である。
この場合もタイトルをたとえば「枯れ草」とし、その質感表現をアングルとライティング
(太陽の当たる角度)の的確な駆使の上で、本人が感じた詩的な感情が伝わるかどうかを
研究する必要がある。

       

「脱出」   吉野光男

 これは写真による劇画風モンタージュであろうか。作者の目的はわからないが、ぼくの
頭の中には半世紀も前の下町の紙芝居のシーンがよみがえってきた。それは土門さんや木
村さんが江東地区の下町で子供たちを撮っていた、いわゆる初期のリアリズム写真の現場
風景であった。
      
 吉野くんが孫たちのためにこんな写真で今日風の紙芝居の原画をこの要領で作る気なら、
Photo Shopで意外に手早く出来上がるのではなかろうか。
 でも、こんなタッチでの劇画的なものなら、劇画専門のプロ作者のほうが一枚上で、作
品としては勝負にならないだろう。ぼくはテレビのコマーシャルでのプレゼンテーション
で、絵コンテを劇画のプロに何度も描いてもらったので、その差はよくわかる。
      
 あれこれ思ったが、結局そんな技を将来アートに生かすつもりなら、劇画風はモンター
ジュ技術を手早く会得する段階までのことにして、やはり写真本来の魅力、フォトジェニ
ックなマチエールのあるモンタージュ、コラージュに進むべきであろうとぼくは結論した。
 画家と写真家を兼ねたマンレイの傑作といわれるリトグラフのポスター「観測の時間・
恋人」など、フォトジェニックでもあり、そんな参考例となるだろう。

                               

「天使」   岡野ゆき

 この天使像への照明では、かなり光を読む要領がわかってきたようだが、バック処理で
は、なぜ途中でやめてしまったのか不思議である。ぼくはオーケストラでいえば異音、雑
音を発生している奏者を放置しているように思えた。
「貝」のほうは、ハイキーな貝自体のビビッドなマチエールをなぜ無くしているのか、こ
れも不思議である。 (ワンポイント・レッスン30の武内の「貝」 参照)
     
 世界のトップクラスの写真家の特徴は、現在もなお銀塩写真が持つマチエールの描写力
を大切にしていることがある。デジタルでイメージを伝えることは可能だが、マチエール
を感じさせるのは難しい。マチエールへのこだわりが作家性を育ててくれるという写真家
もいる。
     
写真の大半がデジタルになり、パソコン上で見ることがほとんどになった今日は、オリジ
ナルな写真の特性を忘れがちになる。油絵の具とリトグラフの染料と写真の銀塩のそれぞ
れのマチエールに違いがあり、作家はそれぞれに自分の思いを託し、こだわる。

       
(参考)                                           
   


      
< 天使像のバック処理でのカラーについて >
    
 ぼくは、こうしたバックのカラーは、ほとんどインスピレーションめいた心理状態であ
れこれをやってしまうが、気に入らないと試行錯誤が延々とつづくこともある。
 それでも、最終的には何とかなるのは、ぼくなりの一応の基本的なカラーの性格、バラ
ンスを体験的に知ってきたからだろうと思う。
    
 そこで、色を口で説明するのは、むつかしすぎるので、その辺にあるカラーの参考書を
パラパラ見ているうちに、丁度、岡野くんの「天使像」のバック処理の続きになりそうな
ページがあったので、ここに掲載しておくことにした。
     
 これは、<絵の具のレシピ>という本の「ガラスをイメージした混色」の6種のサンプ
ル・ページだが、彼女がやりかけた色相は右上のものに近い。このコバルトブルーとバイ
オレットの混色が、濃淡のグラデーションによる変化をつける参考になるだろう。色のフ
ォルムにも注意しながら行うことである。
(講座Part48のアジサイのバックは、基本形に近いがもう少し複雑な混色になっている)
        

                  
< 写真コンテスト応募について >
 
「応募先」
   
各写真雑誌の月例。既成画壇の写真部展。各国の国際サロン展。新聞社が後援する写真連
盟展。各写真家協会の公募展。各カメラ・フィルム、機材のメーカーの公募展。美術館の
公募展。その他。
    
    
「作者のオリジナル作品」
   
出品作は各個人の思想、感情などを創作的に表現した写真で,著作権を主張できる作品で
あること。(事物の複写に過ぎないような写真は、著作権の対象にならない。)
これまで公の場で展示されたり、印刷頒布されたもの、一度でも入選したものは既発表と
して出品できない。
                                       
モンタージュなどで他者の写真その他の一部を使用する場合は、必ずその作者の許諾を得
ておくこと。また他者の作品とほぼ同一の構成と見られた場合は、盗作となる。画家が他
者の写真そっくりの絵を描くとこれも盗作と認定される。
     
   
「著作権・複写」
    
他者の作品を私的な資料として複写、保存できるが、これを不特定多数の人がいる場で展
示すると著作権の侵害になる。作者のオリジナルな作品を購入した場合は、これらを集め
て公の場で展示することができる。日本の場合、著作権は撮影した時から生じ、作者の死
後50年間有効で、死後の著作権はその期間その家族が継承する。
    
    
    
< 玉井個人の場合 >
    
 ぼくの「人生の歩き方」は、非常に地味で上手なほうではなかったと思う。
 いずれにしても、20歳代の初期に結核で倒れ、その回復期に写真誌の月例に応募した
「五月」と言う題名のわずか一枚の写真がきっかけとなって、ぼくなりの世界を展開した
意義は大きかった。
 それが丹平展につながり、アマチュア時代の無我夢中の創作、丹平東京展出品の「ヌー
ド」がマグナム集団のウエルナー・ビショフによって外国の写真誌にも紹介され、世界の
写真展への関心を深めた。
     
 ぼくはその直後から編集者になったが、東京の写真家たちには編集者より写真家として
認められ、初対面の土門拳氏は、あの「風景」の玉井君かといわれ、彼の作品選択時に呼
ばれたり、ぼくの自宅へ埴輪を見に来られたりした。
     
 また、全く独学での写真家への道は、編集者として出張校正などしていた大手の印刷会
社のベテラン製版者との交流が生まれ、マスキングによる写真特殊技法の開発を可能とし
こうした技法取得の最短コースを歩むことができた。
     
 大阪の万博では、特殊技法による日本一長い壁写真を任され、その関連から文化の事業
化を推進するトータルメディア開発研究所のメンバーに選ばれ、その道の多くの学者、専
門家に知己も得て、文化活動への視野の拡大になった。
 こうした環境での土木科出身で全く独学での写真家へという風変わりな道は、本当に多
くの方々の御助力をいただいいて成立した。
                              
 そのお返しのつもりがこの講座になったが、プロ・セミプロをはじめかなりの読者があ
るようでありがたいと思う。近頃はどういうわけか大学院クラスの人々からの質問が多く
なり、本にしてもらいたいといわれるが、写真も文章も多く大変高価な本になりそうで二
の足をふんでいる。
      
 この講座が終わったら本にしてもらいたいといった話は、講座を開いて3年目くらいか
らあった。その希望理由は日本の戦後の写真芸術と写真史的要素の展開、写真特殊技法の
具体的な実例解説、文化史的立場からのユニークな見解などとなっており、中にはざっく
ばらんな解説の中に、確かな審美眼が感じられるなどとお褒めの言葉もあって恐縮した。
 本にするなら、どんなものにすべきか、皆さんのアイディアなど伺えれば幸甚です。

(註)
  塾生各位の個々の写真についての質問などあれば、僕が在宅する確率の多い
  週末から週はじめ3日間位に、電話をしてくれば、僕が居れば即答できる。
  その時の僕の都合で再度、時間帯を変えて電話してもらうこともある。  
  居なければ家人に在宅日を聞いてもらいたい。           
  僕はパソコンで書くより話す方がずっと楽なので、遠慮なく。   
  (在宅の確認は管理人ゆきに聞いても、だいたいの予定がわかるだろう)

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