<玉井瑞夫繧繝彩色塾>

           ☆  ワンポイントレッスン (28) ☆        例会先生評(2004年10月)                    < 動き始めた >      

 前回、7月の例会は、<例会らしい例会を>といったタイトルではじめたが、さらにそれ
を徹底するために、ぼくは年4回に限定・集中した例会を提案し、10月からこの制度によ
る例会をスタ−トした。
    
 ぼくが20歳代に体験した写真の例会は、頭に「月」のつく月例会が一般で、毎月の例会
は待ち遠しく、出品数も秀作も多く、自分の作品が話題になることを心待ちにしていた。互
選に入らないと話題にものぼらず、帰途、両手にぶらさげた3、4点のガラス入り全紙額は
ことさら重く感じた。(幸いぼくは年間、半分くらいの互選入りで恵まれた方だったが)
     
 そして、会場での2時間の白熱した討論では足りず、それぞれ気の合ったメンバ−たちが
近所の喫茶店での更に2時間近い延長討論の末席に、当時無職で金の無いぼくは、コ−ヒ−
一杯で参加させてもらっていたが、先輩たち上位6、7名の方は他の各種展覧会の審査員も
かねているベテランばかりで、中身の濃い裏話は初心者のぼくとっては、干天の慈雨のよう
に思えた。
 こうした昔話を思い出したのは、今回の出品作についての塾生諸君のコメントがこれまで
に比べて積極的で、率直、明快に感じたこと、また各自の自作解説がおもしろく、丹平倶楽
部の例会後のシ−ンが呼び起こされたからである。                  
    
 それは、まさに、この塾も<動きはじめた>ということである。ずっと以前に、ぼくがス
ランプ脱出には、まず「動くこと」といったことを書いたことを覚えているだろうか。
   
   
     
< 横山君は、変身しはじめた >
      
 今回、<動き>の一番はっきりしたのは、横山くんの「ベドウィン家族」である。といっ
て、それはまだキザシのようなものだが、それを直感し指摘するのが、ぼくの最大の役目で
ある。こいうした変身の適例はめったにないことであり、それに対応するキ−ポイントは全
員にも共通するので、今回はこれらについて相当のスペ−スをさいて解説することにした。
    
 この作品は、混迷、戦乱の中東、イスラエルの問題としては比較的狭い視野からのフォト
エッセイになるかもしれないが、彼の視点がようやく定まりはじめ、写真表現にもワンステ
ップの上昇が見られ、あわせてキャプションもツボを心得てきたと判断したからである。
     
 ぼくは、ラストに出品されていたこの「ベドウィン家族」の3点を見た瞬間、彼の笑顔を
感じた。彼は今の彼にふさわしいモチ−フに恵まれたこと、またこの家族との信頼感のある
交流を思った。

   

       A. ベドウィン家族    横山 健

A. 「ベドウィン家族」
                                  
   これは、遊牧の民、ベドウィン族の家族写真。男3人、女3人という子沢山、大勢の家
  族を守らねばならぬ父親ロスフェの顔は何処か虚ろだが、父親に寄りかかっている子供
  たちの顔は素朴で明るく生き生きとしている。彼は親子それぞれの目に、その心理的な
  差をハッキリ写し撮っている。
   

   

    B. ベドウィン家族のテント  横山 健

B.「ベドウィン家族のテント」
                            
    一家8人が住むテントは、粗末な骨組みにつぎはぎの覆いがしてあるだけのまるでオン
  ボロ物置だという様子が分かり、点景として軽く扱われがちな子供たちだが、裸足での
  3人3様の動きのあるポ−ズは屈託がなく、この住居での日常の生活がうかがわれる。
  これはプロの手口に見るような良いシャッターチャンスで捉えた、平凡に見えるがスマ
  −トな写真だ。
   

  

      C. 末娘をあやす   横山 健

C.「末娘をあやす」
    
    この赤ちゃんの表情は、可愛いという一言では言い尽くせない。いわく言いがたし、写
  真表現のすばらしさは、決定的瞬間にある。 赤ちゃんと父親の顔、赤ちゃんと父親の
  手、それぞれの対比は何もいうこともない手堅い構成と表現である。
     
  末娘にはメロメロだという父親ロスフェの顔付きは、A.とはまるで異なる愛情あふれ
  る表情で見る側も安堵する。むき出しの地べたに敷物があるだけの、雑然とした台所に
  ニワトリがいるこの家の内部の様子もよくわかる。
   
   
    
  これらの作品はいずれも佳作。C.は秀作といえよう。             
 こうした写真は、この一家との心の交流がなければ撮れない。そんな心の内側がかいま見
られ、撮影者として人の痛みがわかるがそれに溺れず、冷静な構成で撮られている。この作
品は横山のフォト・ジャ−ナリストとしての第一歩となるだろう。
    
 ただ、これらをフォト・エッセイに仕上げるには、更に最低限3つの条件が不足している
ことがわかっているだろうか。
    
 前回の彼へのアドバイスで、ルポルタ−ジュの基本として、「いつ、どこで、なにが、ど
うして、どうなった」といったが、この場合この3点だけでは、母親の行方が分からず、ど
んな女性なのか、またこの一家の主がどんな仕事で生計を立てているのかもわからず、この
テントが荒野の真ん中にポッンと建っているという地理的条件など、それらをキッチリ見せ
る必要がある。
    
 その中で、やさしそうで難しいのが最後の地理的条件で、単なる記録的風景ではこれら3
点の写真は生きてこない。レイアウトを考えれば、1枚の写真で象徴的な気候風土、厳しい
荒野を表す縦画、横画の2点の写真を用意するのがフォト・ジャ−ナリストの手法である。
 写真家ブライアン・ブレ−クがインドの生活の重要な一面を表したフォトエッセイに、モ
ンス−ンの季節をえらんで撮られたすばらしい写真などそのいい例であろう。
    
 ところで、ルポルタ−ジュの「どうして」というところは、写真だけでは説明が非常に難
しく、写真につけるコピ−(キャプション)もまた大切である。「どうして」という部分は
物の表面だけでは書ききれずその裏面までも推量する。それはまた写真表現上での物の見方
構成の密度を深くすることにもなる。そして、それらは時に「スト−リ−の裏にあるスト−
リ−」を見せることもあるのだ。
    
 ここにある3点の写真と上に挙げた3つの条件を満たす写真と、補助的な写真もあわせて
10点以内で構成することになろうが、「C.末娘をあやす」の作品が見せる誰しも共感で
きるヒュ−マニティあふれる写真効果もあって密度が高められれば、このフォト・エッセイ
はロスフェという個人の記録を越えたこれら民族のひとつの象徴的表現と受け止められ、世
界の人々に感動を与えるものとなるはずである。
     
                                    
 ここで、ぼくは今の君に一番大切な結論を述べておこう。
 それは、この君の初仕事といえるフォト・エッセイを、勢いのあるうちに即刻完成させる
ことである。そのうちにではおそらく未完に終わり、悔いを残すことになる。      
 チャンスは生かすこと。「プロの仕事に明日はない」ということだ。
     
 これができたらすぐ、レイアウトして見せてもらいたい。 臨時に、掲載してもよいと思
っている。 塾生諸君も見たいと思い、心から声援を送っているだろう。
   

      

「石を拾うパレスチナの若者」
  ついでながら、「石を拾うパレスチナの若者」についてひとこと。これは、憎悪が全身に
満ちているという解説どおりすばらしいモチ−フだ。でも、説明がないと分からない。
  というのは、いうまでもなく暗さ、ピンボケ、バックの樹や白シャツなど邪魔物が多すぎ
て写真になっていないからだ。
                             
 この若者は、このセクションでは重要なポイントになる要素があった。徹底的に追っかけ
て、キャパの写真でいえば、「ある共和国の兵士の死」に見られるような説明無用な写真。
スッキリ、パンチある象徴的カットとして撮っておくべきであった。これらが自覚され、そ
んな写真ができるようになれば、更に大きなテ−マに挑戦出来る下地ができて行くだろう。
   
    
       
<これからが本番>
     
 横山君は2年前、「来年はイスラエルへいって報道写真を撮りたい、将来はフォト・ジャ
−ナリストを目指しているので入塾したい」といってきた。それが、ほとんど写真になって
ない写真を撮りながらの言い分で、ぼくはいささか驚いたが、ぼくも暗中模索、猪突猛進、
似たような経験があった。物事やってみなければ分からない。トコトンやる気があるなら、
それもよかろうでOKとした。それから1年は遅々として進まず。彼はそのままイスラエル
へいってしまった。
    
 そんな彼から今年5月の例会に現地から送られてきた写真は、被写体が変わったが、これ
といった感銘を受けるものはなかった。7月の例会の写真は少し変わったがまだ傍観者的。
ちょっと印象に残ったのが「女性警官と女性デモ参加者」「警備線を突破したデモ参加者と
追う警官」くらい。
    
 それが、10月の例会は半分位がフォト・ジャ−ナリストらしき様相を見せ、ことに「ベ
ドウィン家族」は、突然変異といえる出来である。コピ−も直裁で立体的な文章に変わって
きた。これらを解りやすくいえば、いわゆるス−と入ってくる自然でてらいのない写真、わ
めいたところのない写真とコピ−である。 報道写真はそんな写真でなければ通用しない。
   
    
 これらの変身は横山君の2年前、また2月前を思うと、「やればできる」の立派なサンプ
ルとして推奨する。とにかくぼくは、ほっとしている。ぼくのはじめてのほめ言葉に彼はび
っくりしているのではなかろうか。もし誰かに突然変異、2段飛びの出来過ぎといわれても
本人が撮ったことに間違いはなく、自信を持って臨むことである。           
     
 ただし、このレベルに揃った写真が出来るにはまだ少し時間がかかるのが一般である。謙
虚に自信を持って精進されるよう。そのうち、これがレベルとなり、ある日また突然変異が
起ったを繰り返して上昇する。ぼくは多くのそんな人を見てきた。           
 ただし、己を失えば墜落することもあり、要注意である。
        

< 塾生間の講評について >
 今回は、当塾が<動きはじめた>と感じた瞬間から、ぼくは塾生間の講評、感想を丹念に
読み返しはじめたが、そうなると塾生諸君の性別、性格、職業、嗜好、反射神経、感度その
他もろもろが一挙に押し寄せてきた。もちろん過去のコメント、出品作も必要に応じて見直
してみた。そこからぼくなりの直感的分析をやってみることになったが、写真にじかに反映
する性格の分析はことさらに難しさを感じた。                 
          
 それでよく解ったかといえば、微妙な部分もあり「NO」としか答えようがないが、以前
よりも豊富に直感的イメ−ジが働くになったことは事実である。
    
 この分析で解ったことで、やや気分が楽になったことは、塾生間の各作品への講評がかな
り的を射るようになってきたので、よほど的はずれでない限り、ぼくは解り切ったことの繰
り返しは言わなくてすみ、また塾生の提出作品で日頃のレベルを越えていないものは、塾生
間の評価が間違っていない限り、今後は講評を省略してしまっても、もう本人も十二分に解
っており、納得してくれるだろうと思った。
                      
(この講座は友人のプロ達も見ており、少し過保護ではないかという向きもいる。つまり
 あまり毎度、枝葉末節まで面倒を診すぎるのは返って依頼心を育てることになるという)
もし、ノ−コメントがずっと続いて気になることがあれば遠慮なく電話してもらいたい。 
    
 例によって、今回の講評も佳作と思えるもの、作品の質の上下に関係なく良否への岐路と
なる問題を含むものなどを選んで、ぼくなりの本当のことしかいわないをモット−に、独断
と偏見を率直に述べることにしたい。                      
 ぼくは、性格上あたり前のことを書くのは、タイクツで書く気がしなくなるし、苦痛にな
ることもある。今回もまた、あらぬ方からの話になるが、カンベン願いたい。

            

「しゃぼん」 成瀬幸恵

 ぼくは、成瀬くんが撮ったこの3枚の写真を眺めながら、息子へプレゼントした写真のこ
とを思い出した。
 大正時代に生まれたぼくの赤ん坊時代の写真は、わずか1枚しかなかった。そんなことか
ら、長男が生まれたときには、珍しさもあってほとんど毎日写真を撮ってやり、彼の結婚式
では父親からの手作りの唯一の贈り物として大小さまざまの大きさに引き伸ばし、1冊のア
ルバムにレイアウトしてプレゼントしたことである。
      
 つまり、ぼくが今、成瀬くんの立場なら、どんな写真をこの彼女の結婚式のプレゼント用
にちょっと一工夫した写真(見せ場となるカット)を撮るだろうかということである。
 この写真は、どれも可愛ゆくいい記念になるだろうが、写真的にはバックがうるさく見栄
えがしない。ぼくはこの2番目の最もフォトジェニックな可愛さのある写真をしばらく見て
いるうちに、すばらしいスケ−ルのあるシ−ンが浮かんできた。ぼくはこの小さな彼女のた
めに、そんなプランをプレゼントしたいとおもった。               
    
 そのシ−ンは、晴天の海という大風景をバックにした彼女が主役の「しゃぼん」である。
それはやや太陽が傾きかけた午後の海岸で、ポ−ズもライティングもシャボンの飛び方もこ
のままでよい。バックには誰もいない方がよい。砂と波と海だけのシンプルさがスケ−ルを
大きくする。                                   
 こんなシ−ンで撮られたしゃぼん写真は誰も見たことがないだろう。ぼくのプロとしての
イメ−ジは、ポスタ−かカレンダ−になりそうな写真である。でもこの手法に上手下手はな
い。成功率は非常に高い。無心な幼児の表情ならキザな写真になる心配もない。 
    
 逆光か半逆光のライティングは、シャボン玉も子供の頬の産毛へのリムライトも黄金色に
輝きドラマチックである。必要に応じてデイライト・ストロボを利かしたものも撮っておく
とよい。暖かい休日の午後、年に1、2度はちょっと遠出してトライして見られては−−−
ぼくはこんな試みを1年の行事に入れることは、家族にとっても新しいレジャ−にもなると
思うのだが。

「高架下」  大住恭仁子           

 これは、特に何の意味もない落書きのある風景、「ある日あるところ」であろうか。
 落書き、影と日向、遠くから歩いてくる人影、といった材料を大住くんらしいさりげない
構成で捉えた作品。もうはるか昔、モノクロ全盛時代には、こうした風景は構成主義と呼ば
れて、写真誌を大いに飾った頃があった。
         
 当時、絵画の構成主義をまねた写真として、こうした写真を排斥する評論家もいたが、ぼ
くはかなりの構成力がなければ、こうした密度のある写真にはならないので、否定する気に
はなれなかった。                                 
 こうした写真は、その底辺に一種の趣があり何となく気になるもので、あるひとつの目的
を持った組写真を構成するときなど、こんな写真が意外と他の写真とのつながりで意味を表
し効果的に働くことがある。この同じ場所、落書きを超広角レンズとカメラポジション、時
間帯を変えて意味を持たせる構成を試みるのもまた悪くない。

           

「空をかける道」  阿部政裕           

 3点の写真が出品されていたが、真ん中のこの作品が塾生たちの支持が比較的多かった理
由が解るだろうか。
    
 こうしたコンストラクション風の作品は被写体の意味を求めないので、簡単に言えばスマ
−ト、ダイナミックなどに加えて気持ちよいリズム感があるものが選ばれることが多い。 
 構成が悪くリズムの狂った音楽は雑音で不快になる。ここで技法的に注意すべき点は、カ
ラ−写真からの彩度を落としたネガおこし状の作画のため、グラデ−ションが大切にされず
かえってのっぺらぼうにしてしまったのは、逆効果である。バランスのくずれたハイコント
ラストは見かけの効果ばかりで軽薄になる。
   
 これがモノクロ撮影なら、イエロ−フィルタ−の濃淡、オレンジ、レッド、赤外と空の向
きと濃度をみて、慎重に選択をするのが一般である。この画面上部の空間の重さ、乗り物と
空のグラデ−ションにその欠点が明白に出ている。他の2点は論外。
    
 構成については、エルンスト・ハ−スが「画家は真っ白なスペ−スに絵を描く。写真家は
すべてのものが存在する空間から自分の絵柄を取り出す」と言い、またユ−ジン・スミスは
「1インチのカメラポジションの差が傑作と凡作の分かれ道になる」といったが、こんな場
所では、この2人の言葉を意識して、もう一度厳密に見直す必要があろう。       
 そうした再実践のみが新しい作品を生む。

      

「Road」  嶋尾繁則             

 この写真を見た瞬間、40歳をすぎてから脱サラして写真家になり北の大地、北海道美瑛
の丘陵地帯の四季をライフワ−クとして20年以上も撮り続けたという前田真三の写真が浮
かんだ。彼の均整のとれた作品の数々は、僕の好みに関係なくシャ−プに記憶されている。
    
 あの近くで前田氏以上の写真を撮るのは、容易なことではない。幸い嶋尾くんの作品はこ
れらからはずれているが、一見した時の強い印象、きれいさは、間もなく減力されてゆく。
 それは彼の写真の力不足、また彼の生真面目さに原因することでもある。     
   
      
    
  風景写真家にルーズな人はいない。お気楽、極楽では風景写真は撮れない。    
      
  その昔、ぼくはある風景写真家集団の例会を見たことがあるが、たまたまその当日は写真
評論家の講評があって、「皆さんの写真は、一級建築士の集まりのようで、もっと融通無碍
にならねば」と言う話になった。つまり、しつかりしてはいるが窮屈すぎる、固定観念の消
去にはといった話になったが、心理分析のような話は一向に面白くも解決にもならず、ぼく
は退屈し、あくびをかみ殺して帰って来た。
      
 そんな記憶がおぼろげに浮かんできたとき、ふと想いだしたのが、ここで御覧に入れるラ
リ−・トウエルの作品である。

                

< 参考作品 > (画像をクリックすると大きな作品を見る事ができます。)                                     

題名不詳    ラリー・トウエル    

 これはぼくのお気に入りの作品である。
 どうしてか、と理由を聞かれても困る作品なのだ。
    
 この作品に初めてお目にかかった時、どうしてこんな、不思議な構成をしたのだろうとい
った思いが強かった。トウモロコシの畠をバックにした5人の少女の手前の子は顔が切れて
いるし、何をしているかもわからない。画面の上部半分は真っ白である。
 それがずっと眺めているうちに、おしまいには、これはこれで良いんだと納得してしまう
ことになった。                    
 そして、次に見た時には、真っ白な空間に季節の香りさえ感じるようになったのだ。
    
 こんな常識はずれの作品は、めったに見られない。いわゆるフィーリング写真に似てさに
あらず、そんな軽い写真ではない。この作品が文句なしに好きだという写真家は相当にいて、
それもトップクラスが多いという。とにかく、こんな破格の構成でさらっとした抵抗感のな
い写真は珍しい。
    
 話を元に戻そう。嶋尾くんの風景が見ているうちに、だんだん印象が薄くなる原因は、上
下の空間処理にあるかもと思ったぼくは、ラリ−・トウエルの構成を参考にすれば何とかな
るかも知れず、そんなことを彼が会得すれば、彼の長い混迷も氷解するのではという希望的
観測が働いたらしいのだ。
     
 前景のあいまいな褐色の麦畑を切り捨て、空をいっぱい画面の半分まで入れた風景は、一
体どんなものになるものか。それは嶋尾くんがやって見ることである。もし、上がなければ
次には、あえて上部をタップリとった構成もやってみればどうだろう。ひょうたんからコマ
ということもある。

   

  

「地図」  桑島はづき           

 今回より参加した桑島くんは、短歌をはじめて3年とか。あわせて自己表現の一環として
写真もトライしてみたいという。
    
 これは壁のしみであろうか。初めての出品としてはなかなか渋い写真で、将来の楽しみが
予見されるが、このモノト−ンに近い水彩画といった表現はかなりのベテランでも難しい。
油絵のような写真を心がける人もあるが、いずれにしても水彩画、油絵のまね事でなく、そ
れらと比べても遜色のない表現でなければ意味がない。
   
 そんなことから、まず写真の特性(精密描写とグラデ−ションによる質感の表現)をフル
に生かしたいわゆるフォトジェニックな名作を、以下に紹介しておくので、十二分に鑑賞、
研究してもらいたい。                               
 また、これらの理解は、軽いちょっとしたフィ−リングだけでは撮れない写真の世界の厳
しさを知ることにもなるだろう。

              

    < 参考作品 > (画像をクリックすると大きな作品を見る事ができます。)
                                    

剥げ落ちるペイント    アーロン・シスキンド 1949

破れたポスター    エルンスト・ハース  1968

    

         

    

  < 写真展のお知らせ >

生誕百年 1903-1942 

安 井 仲 治

-写真のすべて-

  

恐怖    1938

燈台(海濱) 1936

蝶   1938

曲馬団(密着) 1940

窓(流民ユダヤ) 1941

夜   1940

     

        

< 松濤美術館  案内 >

安井仲治展  会期

平成2004年10月5日(火)〜11月21日(日)

   所 在 地        東京都渋谷区松濤2丁目14-14     TEL 03-3465-9421 
    
           (京王井の頭線 神泉駅下車−徒歩5分)
     
   開館時間  午前9時〜午後5時(入館は4時30分まで)
   休 館 日    月曜日
    
http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/museum/index.html

 

< 大先輩、安井さんのこと >
              
    
  ぼくは、この展覧会を拝見して、感無量。しばし、言葉も出なかった。
    
  わずか38歳までの短い人生で、これほどまでの果敢な仕事をなし遂げ、ま
 た人間として多くのすぐれた写真家を育て上げ、心から信頼を得た人物、人柄
 に頭が下がるばかりだった。
    
 ぼくは安井さんの作品をよく知らなかった。また世間の写真家、評論家の多くも
ほとんど知らなかった。安井さんが早逝し、しかも代表作の多くが戦災に遭い、消
失してしまっていたからである。
 それが今回の展覧会では、生誕百年を記念して関係者の大変な努力で探し集めた
ビンテ−ジ・プリント149点に、新発見、初公開の作品を加えて218点。図録
は作品と安井さんの書簡、講演会、その他の資料などで320ペ−ジという大変な
ボリュ−ムになっている。                   
    
 あの傲岸な土門拳が、日本の写真家では唯一安井さんには負けたと言った作品群
がそこにあった。安井さんは、新即物主義、構成写真、スナップ、ルポルタ−ジュ、
ソラリゼ−ション、シュールリアリズム、抽象表現、その他1920〜30年代に
出そろったすべてのスタイルを吟味し、そのいずれにもとらわれず、新興写真の黄
金時代を築いた。                          
 安井さんは、あらゆるものにカメラをむける広さと現実の断片の中から、強烈な
象徴性をつかみ出す深みを備えた作家であった。
     
 土門拳が「最も純粋な写真的マチエ−ルを追求した唯一の先覚者」、「最も鋭い
深いリアリズム写真」といつたことが、はじめてぼくにもよくわかった。
   
 でも、安井さんの全貌は、まだわれわれの前に現れはじめたばかりである。ぼく
は、このあたりからは落ち着いて、汲めどもつきぬ安井さんの魅力を見直して見た
いと思った。
 ぼくは、自分の作品の中に安井さんの多くの秀作を見ていなかったのに、モチー
フや構成に安井さんの作品とよく似たものがあるのに気がついた。それは安井さん
の没後の丹平写真倶楽部の中に安井イズムが色濃く残っており、その影響をぼくも
受けたのであろう。
 ぼくは今もなお、分厚い図録をめくりながら、ふと新しい発見をしている。皆さ
んもチャンスを作り、ぜひ見ておいてもらいたい展覧会である。
    

    
 ここから先は、個人的な余談である。
     
 ぼくが丹平写真倶楽部に入会したのは、1949年の秋、東京へ移住したのが、
1951年の秋であった。その2年間の丹平の例会やプライベ−トでのメンバ−の
話題には、実にひんぱんに「安井さんは、こう言った。ーーこうした。」といった
言葉がでてきた。 丁度ぼくが「瑛九が−−瑛九が−」というのと同様である。
          
 そんなことから、ぼくが何とか知りえた安井さんは、ぼくが入会するもう7年前
に38歳の若さで他界されたこの会のリ−ダ−で、全会員から非常に信頼され尊敬
された方だったらしい。ぼくより20歳上だったということくらいであった。
    
 それが2年後の丹平写真展で、鳥取砂丘で撮った<ヌ−ド>で「安井仲治賞」と
いうのをいただき、それが会の最高賞で入会2年の若造がキャリア10年以上の諸
先輩を出し抜いての受賞は、大事件なのだと聞かされても一向にピンと来なかった。
 それは、その頃ぼくが見かけた安井さんの作品は、わずか5点ばかりでそれも小
さな印刷物だけだったからである。
    
 ようやく、ぼくが知りえた写真家・安井像の輪郭は大阪ではなく、ぼくが東京に
出て編集者になり、土門さんの話を聞くようになってからであった。   
 この写真展を見るまで、ずっとあの5点ほどの作品しか知らず、大量のビンテ−
ジ・プリントもはじめてで、そのショックは冒頭で「しばし、言葉も出なかった」
となり、感無量とは、半世紀も前におそれおおくも「安井仲治賞」をいただきなが
ら、やっと今ごろ安井大先輩の業績と本質の全貌を知りえたということである。
    
 また、ぼくは安井賞をいただき、そのお蔭で丹平東京展に選ばれて出品できたこ
と、それがきっかけで写真家になった。ぼくは会場でそんな僥倖に恵まれた安井さ
んとの深い因縁をかみしめ、ほんとうにありがたく思った。(Part7参照)
    
 この展覧会は、多くの写真家、ジャ−ナリストが訪れ、深い感銘をうけたといわ
れるが、曲馬団、メ−デ−、猿回し、朝鮮集落などの密着プリントも展示され、原
画とその周辺の心理の変化、トリミングのあり方、ビンテ−ジ・プリントとニュ−
プリントとの違いなども興味深く見られている。
    
      
☆ 地方からの安井仲治展の図録入手は、一冊2800円の現金書留に、送料として切
  手450円を同封して松濤美術館宛に送付すれば購入できる。
  「安井仲治展図録1冊の購入希望」と「送付先住所、氏名、電話番号」を明記
  しておくこと。

        

       

(註)
  塾生各位の個々の写真についての質問などあれば、僕が在宅する確率の多い
  週末から週はじめ3日間位に、電話をしてくれば、僕が居れば即答できる。
  その時の僕の都合で再度、時間帯を変えて電話してもらうこともある。  
  居なければ家人に在宅日を聞いてもらいたい。           
  僕はパソコンで書くより話す方がずっと楽なので、遠慮なく。   
  (在宅の確認は管理人ゆきに聞いても、だいたいの予定がわかるだろう)

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