☆ ワンポイントレッスン (18) ☆ 月例会先生評(2003年1月) < どこかで見たような (1) >
「塩の辛さ、砂糖の甘さは、百ぺん講義を受けてもやはり分からない、ほんとうは。 しかし、なめればすぐ分かる。」、「やはり実際に実験してみないと分からない」と いったのは、あの松下幸之助氏の言葉である。これ以上解りやすい話もあるまい。 アメリカで、いわゆる写真のメッカといわれているところは、大風景写真の元祖エドワ− ド・ウエストンやアンセル・アダムスが多くの秀作を残したポイントロボスやヨセミテ国立 公園、コロラドなどにある。 もう長い年月、この地を訪れる数多くの写真愛好者は、ウエストンの「糸杉」やアダムス の「ハ−フ・ド−ム」といった名作そっくりの写真らしきものを撮って帰って行く。大方は 似て非なるものだが、本人が満足しておればそれでよかろうという。 日本にもそんなところが北海道にある。それは美瑛、富良野を作品とした前田真三の拓真 館のある地方で、人気ある観光コ−スになっている。前田真三の風景写真は、美しく解りや すく、カレンダ−などで一番親しまれてきた作品である。 北海道の緩やかな丘と小麦やビ−トは、イギリスの地方を錯覚させるようで、写欲をそそ られたアマチュア写真家は、大きな独立樹を入れた前田真三そっくりの写真を撮ってご満悦 だという。 ぼくは、まず初期の段階は、これでよいと思う。 ぼくは、丹平クラブに入会し、当時前衛的と言われた諸先輩の風変わりな作品、技法の真 似事を、片っ端からやってみたことが写真家へのスタ−トになった。田舎からポッと出てき たぼくには、あの風変わりな作品は見ているだけでは到底理解できなかっただろう。 つまり松下幸之助氏の「なめればすぐ分かる」の実行だが、すぐ分かるとはゆかずとも、 輪郭ぐらいの会得は早かった。 |
< どこかで見たような (2) >
さて、日本ではそれほどでもないが、ぼくは外国の美術館では名作の模写を熱心にしてい る若い画家を何度か見かけた。絵の模写は写真に比べてさらに意義がある。 感覚や記憶は意外と粗雑で、そんなあいまいな感覚で模写しても何の意味もない。 原画そのままを精密に描くこと、つまり絵の具を正確に選び、絵筆のタッチまでも実行し ようとすれば、いかにこれまで漫然とその絵を見ていたかがはっきり分かってくる。そんな ことから思いもよらぬその絵の手法の秘密に触れたり、塗り重ねたマチエ−ルの意味が解っ たりするという。このことは、上達への最短コ−スのひとつでもあるという。 写真も相当の意欲があり、ある程度のレベルまで進めば、例えば前田真三そっくりの写真 を撮ったつもりでも、どこかが違うことを発見するはずである。比較、検討すれば、それは レンズの長短の選び方、光の読み方その他もろもろで、大まかには似てはいるが原作の域に は程遠い原因を追求し、そのキ−ポイントが会得できれば、しめたものである。 ついでながら、前田氏の作品は八方美人で食いたりないという人もあるが、彼はそんな分 かりやすい写真の創始者である。真似やすいといっても彼そっくりの写真の発表は盗作、著 作権の侵害になる。研究実験のための模写的写真は大いに結構だが要注意。昔は、写真展の モノクロ写真そっくりの構図で絵を描いて出品し、盗作を問われた例がままあった。 いずれにしても、松下幸之助氏の「なめればすぐ分かる」ことの実験は、それぞれの段階 に応じて有効に生かしてもらいたい。 さて、<どこかで見たような>(1)(2)を通過し、その次の段階が以下である。 すでに先の講座で紹介したが、明晰で確たる鑑識眼を持つていたアレキセイ・ブロ−ドウ ィッチは写真家であったが、またハ−パ−ス・バザ−のディレクタ−として、<新しい作家 を発見し、彼らに写真の神秘な扉を捜し求めさせ、未知の世界を開かせること>を信条とし ていた。 彼は、ア−ビング・ペンやリチャ−ド・アベドンを世界的な写真家に育てあげたが、彼ら が一様に述べたブロ−ドウィッチから受けたタッチトレ−ニングの内容を、次のように話し ている。 「彼は、どこかで見たような、常套的な表現を極度に戒め、驚きを与えるようなイメ−ジ と、独自なアプロ−チを発見することが、写真家の義務である」、また「未知な世界をのぞ くまではシャッタ−を切るな」とも言い、 同時に、「これらは現代性を強調するからといって、過去の写真が重要でないということ ではない。すべての芸術がそうであるように、写真にあっても過去のすぐれた作品は、今日 の写真家にとっても重要なものだ。しかし、それらは、創造の契機をつくるための刺激とす べきであって、過去の作品は反復さるべきではない」と言っていたという。 |
今月の例会には、何かを試みたいといった空気のようなものと同時に、困惑している 様子もうかがえた。 それは、「Part 29」からはじまった、ぼくの後半生を占めた特殊技法による 写真表現の作品が掲載されての解説に戸惑っているところもあるだろう。ぼくはこんな 特殊技法を特に勧めるつもりはない。作品は表面的な技法でなく内容が問題だから、別 にむつかしく考える必要はない。 しかし、これもすぐ慣れることであろう。現在の写真の主流は、デジタルになり、表 現も幅広くなりつつあり、ぼくがやって来たアナログとの区別も間もなく見分け難くな るだろう。 塾生は、ぼくから法則などを受け取るわけにはゆかない。ぼくは<浸透>することに よって教え、諸君はぼくからエッセンスだけを吸収するのだ。そして、<何か>が心の 中に残されて、成長を続けて行く、そんなことをぼくは希っている。 ぼくのようなアナログでの特殊技法は手数のかかるもので、すぐ短時間で理解するの は無理であろう。PhotoShopなどでの展開も性急にやると続かない。実験的な 試みは継続が力である。基本的な写真技法や色彩感覚のレベルを上げながら、ゆっくり と新しい技法も身につけて行くのが良いと思う。 今月も作品の質にこだわらず、気になるポイントを述べることにしよう。 ついでながら、タイトルのつけ方に、やや思い入れが強すぎるものがあり、鑑賞者 が入口で戸惑うことのないよう、一考を要する。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
(註) 塾生各位の個々の写真についての質問などあれば、僕が在宅する確率の多い 週末から週はじめ4日間位に、電話をしてくれば、僕が居れば即答できる。 その時の僕の都合で再度、時間帯を変えて電話してもらうこともある。 居なければ家人に在宅日を聞いてもらいたい。 僕はパソコンで書くより話す方がずっと楽なので、遠慮なく。 (在宅の確認は管理人ゆきに聞いても、だいたいの予定がわかるだろう) |
back