<玉井瑞夫繧繝彩色塾>

           ☆  ワンポイントレッスン (16) ☆              < 家族というテーマについて >

 このインタ−ネットの繧繝塾の例会では、年に1度はぼくがテ−マをきめる。つまり課題
を提出することになっており、来年3月の月例のテ−マを、『家族』とすることにした。 
 もちろん、その表現は「我が家族」、「或る家族」、その他いろいろあろうが、主体は人
間の家族で動物がまじってもかまわない。                     
    
 ぼくは簡単に<家族>という言葉を口にしたが、それ以来この言葉の解釈の深さ広さから
派生するモロモロの記憶やイメ−ジ、果ては遠い歴史の世界まで、それらがふとした瞬間、
毎日のように現れて整理がつかない。そんなわけで、このところぼくの頭に浮かんだ<家族
>についての一端をのべておきたいと考えた。
    
    
 家族は、本来人々の最も幸福であるべきはずの構成単位である。だから家族を写した写真
には、幸福に満ちたりた状態が多い。だが、それはそうありたいという家族の願いであった
り、また写真家の希望的なイメ−ジである場合もあるかもしれない。
    
 いずれにしても、家族の不幸を強調した写真は、事件写真をのぞいて他は稀有であろう。
しかし、人間性を損なわずヒュ−マンな姿勢でその真実をとらえ、人類は家族の幸福を願っ
ているといった写真が、ある人々を救う場合もある。
 1929年に端を発した大恐慌に対処するため、ル−ズベルト大統領はニュ−ディ−ルとよば
れた革新的政策を推進し、積極的な救済政策をとった。その時、国民に理解と協力を求める
企画に、多くの写真家が起用されたが、彼らが撮り数千の新聞雑誌に掲載された悲劇的な流
浪の民の日常を伝えた写真は、米国のあらゆる政治家たちよりも雄弁で救済に貢献した。 
 その中の1人であったドロシ−・ラングの「母と子」の歴史的なすばらしい作品など、ぼ
くの頭には鮮明に焼き付いている。
    
   
 ぼくの記憶にのこる家族写真で最大のイベントとなったものには、1956年、写真界の大先
輩エドワ−ド・スタイケンが企画し、世界中から家族写真を募集して構成編集した「ザ・フ
ァミリ−・オブ・マン」(人間家族)というタイトルの展覧会、写真集がある。
 これには人間家族の悲喜こもごも、戦争と平和、幅広い角度からの家族の情景、素顔がみ
られ、これも参考になると思う。僅か1ドルで世界中に頒布されたので、地方の図書館でも
見られるだろう。
      
    
 ところで、当塾の月例という研究会は、思考と表現、今回はスナップ・ショットという技
法の修練の場でもあるので、このテ−マの一面を示す確かな作品が現れはじめた初期の代表
作と思われる中から2点の作品を掲載する。                     
 カルチェ・ブレッソンがセ−ヌ川の支流で撮ったこの作品は、彼の写真集「決定的瞬間」
に掲載され、著名なため見たことがある人が多いと思うが、安井仲治氏の隠れたこの秀作は
丹平写真倶楽部の画集{光}以外では見られないものである。

                    

               マルヌ河畔の日曜日   カルチェ・ブレッソン 1938

           

「 マルヌ河畔の日曜日 」

   
 ぼくはこの作品を見た時、ある写真書の解説にあった次のような文章を思い出した。
     
 生物は水際に生まれ、そこから陸上に向かった人類は、野生の生活を送ってきたが、人工
的な環境に住み出したのは、数千年前である。環境が見苦しいまでに人工化したのは、ここ
数十年のこと、こんな激しい変化に耐えるのは容易なことではない。
    
 そんなことから、ひと息入れるために自然のなかにもどってゆく。そこで、まずどこより
も水際にひかれ、また頼れる大樹の下を目指すのだ。こうして現代人の典型的な繁殖単位で
ある家族たちは、うち連れてピクニックに出かける。こうしたピクニック願望は写真家にと
っても無縁ではない。自他ともに自然な安らぎを見つけて、そういう写真が生まれる。
    
 なんともうがった話だが、ぼくはブレッソンのこのあっさり、すっきりした作品を一番に
思い出した。  
                           

           童 子   安井仲治 1939

    

「 童 子 」

          
 「安井仲治」氏は、Part  6 の裏話で「磁力の表情」という作品を紹介した。
 安井氏は、丹平写真倶楽部のリ−ダ−格で戦前の前衛写真運動を推進したが、戦後その業
績が知られるにつれ、土門拳も関西写団の最高の写真家と認めて激賞した。
    
 1920年代に、ドイツから新興写真運動がはじまり、世界に波及していったことは、すでに
何回ものべた。それが1930年代には、日本におけるシュルレアリズムの指導的役割を果たし
た美術および写真評論家として著名な滝口修造のリ−ドなどもあって、前衛写真界はシュ−
ル一辺到の時代、そのトップをゆく安井氏のスナップによる人物写真がこの作品であった。
    
 この作品への安井氏のコメントには、「漁村の子供の巧まざる姿態から不動明王の脇立に
見るところの勇ましさ、ミスティックな感じをうけたことは大変楽しかった。」とある。 
 ぼくもこんな頼もしい少年を見かけたら写したいし、友達になりたいなどと思った。
    
 とにかく、当時のシュ−ルかぶれした画家の得体のしれぬ画面は今や見る影もないが、こ
こには安井仲治というシュ−ル写真家なるが故の、モダニズムの根底を確かめるようなリア
ルで確固たる子供像がある。
     
 いずれにしても、ブレッソン、安井仲治のこれらの作品は、それまでの絵画の亜流とも思
える人物像を乗り越えて写真の特性を発揮したもの。本格派の作品というものは、半世紀を
越える今日という時点で見ても確かな存在感があり新鮮である。
    
   
   
                   
                               追 記
     
    
 この随想は、あくまでぼくのよもやま話。掲載作品は家族というテ−マの或る一面を示す
にすぎず、これらをサンプルにということではない。
    
 ぼくの老婆心から言えば、ぼくは写真家でありながら実にいいかげんで、いまだにまとも
な家庭アルバムもなく、殊に両親の写真を撮ることをおろそかにし、とっくに他界した今頃
になって申し訳なく反省している。家族写真は、あまりに身近すぎて、何時でも撮れると思
いながらチャンスを失ってしまいがちなもの、心すべきと痛感する。       
     
     
 去年、ぼくはこの年になってやっと初孫に恵まれた。珍しくて会うたびに写真を撮るよう
になったが、記録にはなるが未だにこれといった作品はない。原因は、いわゆる「孫バカ」
そのものということ。つい人様に見て頂きたい良い顔ばかりを追っかけて全体像が見えず、
客観的な姿勢に欠けるからである。 ぼくも初心に帰らねばと思う次第。
      
 塾生の各位各様の表現による<家族>の作品が家族にも喜ばれ、今後も継続できるもの、
その継続がスナップ・ショット技術の向上にも役立つことになれば一石二鳥。      
 組写真での発表も歓迎する。リラックスして、第三者にも印象深くユニ−クな作品が見た
いものである。

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