<玉井瑞夫繧繝彩色塾>

           ☆  ワンポイントレッスン (14) ☆              月例会先生評(2002年7月)                 < 更に原点を考える >     

 月例会を隔月に開くことにした意味を理解することから、写真への推敲意識が見られるよ
うになったが、同時に塾生各位の作品に対する方向感の曖昧さもかなりはっきりしてきた。
    
 それらはある個人だけでなく、それぞれ各人にも共通性が多い。ぼくはまず始めにそれら
いくつかの例題をあげて解説しておくので、自分の作品に思い当たるところは、そのポイン
トを参考にしながら考えてもらいたい。「原点にかえり、原点を考えること」は、明確な目
標をもち効率が上がる。そして「バリエ−ションを拡大する力」を養って欲しいと思う。
      
      
* 「黒」バックと空間 *
    
 いずれ、「古代は青、赤、白、黒という四色からはじまった」といった「時代と色のいろ
いろ」という話を講座でするつもりだが、それまで待つわけにはゆかないので、とりあえず
黒バックについての概念を述べておく。
 「黒」は、北、冬、栗、朽ちる、腎臓。暗い、重い、簡素。白黒は、無彩色で明暗の差の
み。(栗や腎臓を黒とイメ−ジしたのは、歴史上の文書にある)
 黒もつやのある漆の黒には、特殊な品格を感じる。ぼくはさらに宇宙への入口、膨張し続
ける宇宙の果てへの表現を思うこともある。
 ぼくは黒をバックにしたその被写体は暗い空間の遠い彼方にあるのか、表層にあるのか、
その上に浮かんでいるのか、その位置を想定し照明を微妙に変えて表現する。

             * スナップということ *     

「 戦争の恐怖 」 フィン・コン・ウト 1972  

 スナップという写真はない。スナップ・ショットという技法を指すのが一般だ。    
 ポ−トレ−トやファッション撮影で相手にたえず話しかけたり、音楽を聴かせながらリズ
ミカルな動作を指示してストロボによる35ミリ・カメラでのスナップ・ショットでしか撮
らない写真家もいる。これが4×5や8×10の大型カメラではそうはゆかない。がっちり
構えて、人間の年輪シワも彫刻のように克明に写しだす。要は表現目的、様式次第である。
     
 複数の人物をスナップ・ショットで撮るのは難しい。たとえば、Aという人物を主題とし
副材としてB、C、D、E、Fの5人も同時に画面にいれて写すとき、「Aの表情を見なが
ら、他の5人がどちらを向き、だいたいどんな動作、顔つきをしているかが同時に見えてい
なければ写真にならない。」というのは、プロ写真家の名手の誰もがいう言葉である。
       
 スナップ・ショットで撮るもっとも強烈なものは、戦争写真である。こうした写真は、歴
史的な時間、空間を輪切りにして、その一瞬を固定して見せるが、その画面の主題が存在し
続けるというリアリティは、「何時、何処で、誰がどうして、どうなった」といったことを
密度ある表現でとらえるため、これらの条件のうち必須の副材となる条件は逃さない。  
 ロバ−ト・キャパの作品などよく見ると、戦場という撮るだけでも命がけの場所で、それ
らの条件をしっかり表現したものが多いことには敬服する。              
     
 掲載した写真は、ベトナム戦でピュ−リッア賞を受けた南ベトナムの報道写真家フィン・
コン・ウトの作品である。無差別爆撃のナパ−ム弾を受けた子供が燃える服をぬぎ、泣き叫
びながら逃げてくるシ−ンである。強い表現のためについ寄りすぎて、写真家そのものが渦
中に入ってしまい、近視眼的な写真が多いが、この作品は一歩引いた冷静なフレ−ムがすば
らしい。

* 木村伊兵衛の馬 *     

 「 秋田市追分・板塀 」  1953  

 この写真は、木村伊兵衛氏が東北地方をテ−マにしたシリ−ズの中でも、プロ写真家たち
から秀作といわれた作品である。  
 「追分」という古くから著名な街道筋。郵便受けのある板塀と2本の樹木のある何でもな
い風景だが、いわゆる点景といわれる副材が馬の尻である。もしこの馬がすっかり全身まで
入っていては当たり前すぎて写真にならない。馬の臀部だけで、それもちょっとだけブレな
がら画面の外へ抜けだすシャッタ−チャンスが見どころである。            
 この構成は馬の産地を思わせるだけでなく、空気の匂いまで感じさせる、しゃれた空間の
撮り方のサンプルともいわれた。こうなると副材は足し算でなく掛け算の効果を発揮する。

* ニコラ・ド・スタールの色彩 *     

   「アンティーブのアトリエ」 1955  

 ニコラ・ド・スタ−ル(1914−55) は、第二次世界大戦後のフランス美術界に彗星のよう
に現れ、瞬く間に国際的な名声を獲得しながら41才の若さで自らの命を絶つた悲劇の天才
的な抽象画家であった。                              
   
 彼の原画で見る彼独自のパステル調の繊細な色調は、写真ではとうてい表現できない。 
(尤も赤色も緋色もだだ赤としか感じない人には、問題外のことである)(色は感覚、日頃
から関心を持ち感覚を磨く心がけがあれば、相当鋭敏にもなれる)
 この作品は、色味のある灰色、さまざまな茶褐色、若干の紫色など地味なおとなしい色が
基調になっているが、青と対象をなす二つの単純な黄色の点と、画面の下方の横に伸びた二
つの赤の点と対照をなす二本の緑の線によって突如目覚ましいものになっている。
   
 写真の再現能力に、人物や風景の模写の座を奪われた画家は、キャンバス上に油絵具の色
そのものによる抽象表現を始めたが、それをレンズとフィルムで複写し、印画紙に置き換え
て見せる写真家が追うのは、現在のところでは無意味である。(Part 29 「 色光は踊る」
は塗られた色でなく、色の光そのものをフィルムに表現する実験であった)

* 「ビルのイメージ」 --- 2題 *           

A.高層ビルディング  作者不詳

B.グッゲンハイム美術館                 ゲオルグ・E・オブレムスキー

    

 ぼくの知人に建築専門の写真家がいるが、その写真は建築の構造的な専門知識がなければ
撮れない方程式のようなル−ルに従った端正なものである。確かにそれは立派なものである
が、それはどこまでいっても建築の教科書、サンプルの羅列のようで、ぼくのような同じこ
とは何回もやりたくない性格の写真家には、どうにもあわない世界に思えた。
    
 そこでぼくに興味のもてる建築写真とはどんなものかを考えて見た。
 建築家でない諸兄が撮るならこんな写真でもいいのではと、参考までに掲載した。作例は
2例に過ぎないが、各個人のアイディア次第で無限である。
    
A.は、高層ビルのイメ−ジだが、モンタ−ジュはその意味合いを分かりやすく見せるた
  めのことで、こんな印象をストレ−トで表現できるならそれでよい。
B.は、グッゲンハイムのどの部分を撮ったか分からないが、そのパタ−ンを増幅したも
  のであろう。確かに風変わりな表現だが、現物を知るぼくにはこのイメ−ジはグッゲ
  ンハイム美術館そのものように感じた。

< 月例 7月講評 >

   
  例によって、今月の作品の中でぼくの目についた問題について、ひと言述べて置きたい。
各自の作品によっては、上記の参考作品の解説を補足しながら、作品構成への原点を確認し
てもらいたい。(ぼくは講座とワンンポイント・レッスンで大切なポイントは同じことを何
度も述べているが、読み落としているとしか思えない凡ミスも多い。講座の隅々まで目を通
して理解してもらいたい。) 

    
「岩につく」 嶋尾繁則

 こうした被写体は、非常に地味で目立た
ないが、表現は堅実で好感がもてる。
 これは多分奈良の大台が原と思われるが
苔だけにとらわれず、広い目で見た樹木、
岩その他、四季折々の表情を綿密、ていね
いな表現で残してゆけば、立派なポ−ト・
フォリオができる。          
    
 ぼくの親しい高知生まれの先輩で、風景
が好きで高知の海岸の岩を撮るうちに、そ
れが地殻の変動・地質学上から貴重なもの
であることが分かり、専門家の教示を受け
て学問的、計画的な撮影を続け、その労作
は県の展示室に収蔵された。作品として優
れたものが一石二鳥、嬉しい話であった。

「夕闇」 阿部政裕

  空の表情だけではこの画面はもたない。
この場合、V字型のアウトラインを形づく
る建築物の凹凸に添った微妙な明暗、質感
描写は造形上必須の条件、厚みがでる。
V字は広角レンズで縦に深いほど良い。
                 
 他の写真で、色ボケの2点は、発色とカ
ラ−バランスの理解不足がみられる。  
 こうした色彩分野では、生の絵の具を扱
う絵画の2つのマチエ−ル、つまり物の描
写としての質感描写と油絵具自体の厚みあ
る表現にはかなわない。それらに負けない
表現には、どうするか。
                   
  参考例のニコラ・ド・スタ−ルの色のハ
−モニ−やゴッホの「ひまわり」の原画な
ど研究されたし。

ヒマワリ原画

ヒマワリ修正イメージ
  

「ヒマワリ」 西浦正洋
   
  せっかくのアイディア、どうして完成までやらなかったのか?        
 ぼくは、バックの上部のスペ−スは、補色でややエキセントリックなカラ−バラ
ンスをとり、暗い丸いヒマワリの顔は、サイドから部分的な控えめのライティング
で、よくよく見ると暗い中にチカチカ小さな黒ダイヤの集合体があるような−−−
彩度をかなりおとしたイメ−ジが浮かんだ。修正写真は、ぼくのいたずら気で、ち
ょっと手を加えてみたイメ−ジ図。作品ではない。
   
 「パタ−ン」はいじりすぎ。基板での予想外のまったく新しいフォトジェニック
な表現を見たいものだ。
 

 

「アリストロメリア」 上田寛
    
 作者は、かなり目的を果したのではなか
ろうか。これまでにくらべて、かなりライ
ティングに工夫が見られる。    
 しかし、残念ながら花の各作品は統一性
のない照明が目立ち、四方八方からのライ
トの印象が強すぎた。         
 バックの一筋のブルーは、飛行機で超高
空を飛ぶ夜明けのちょっとグラデーション
をつけた水平線のような表現なら冴えただ
ろう。
 一般にうまくいってる場合は、花そのも
のに魅せられて照明のうまさは後で気づく
ものだ。行き過ぎは引き返せばよい。 
    
 「夕暮れ」は、色のコントラストが強す
ぎて、カラ−バランスがくずれている。 
 もっとソフトな表現の方が作品としては
かえって強くなる。         

    

「イェーイ!やったね!」 森下弘
    
 せっかくいいチャンスを物しながら、環
境説明を忘れた? ではもったいない。
 カメラをもうちょっと下げるか、大幅に
膝まで下げるか、いづれにしてもそんなこ
とで可能だったのではなかろうか。
    
 写真は映画ではなく、1枚の中にそのシ
−ンが或るドラマとして通用する情景、環
境その他、内容を立体的にする副材を主題
を弱めない最小限度で入れる必要がある。
 このことは副材次第では肯定にも否定に
もなる大切な構成要素になることもある。
                  
 「窓」という被写体はかなりフォトジェ
ニックなものに思える。参考例をヒントに
積極的なトライを考えて見てはいかが。

「波動」 岡野ゆき
    
 これだけの材料で、一応それらしき作品
にした経験は大変な収穫であった。 
 しかしこの段階ではイラストに負ける。
それにはフォトジェニックな表現で密度を
上げ、更に新鮮な構成を試みることだ。
   
 一例としては、もうすこし金属片の数を
増し、質感の輝きを強く表現することなど
からはじめ、不思議、奇怪ともいえるアイ
ディアの勝負になろう。さらに、スリリン
グなカラ−バランスも見たいものだ。

    

「the way of oriental」 山田 明広
     
 こうした題材は、三社札程度にしか見ら
れないので、やはり渡り廊下の雰囲気のあ
る表現をしてみせるのが順当であろう。条
件としては、多分夕刻などがいいだろう。
    
 「cross road]のような表現
技法は、単品ではもたない。こうした手法
は、1956年ウイリアム・クラインが「ニュ
−ヨ−ク」という写真集で初めて見せた。
 当時、僕たちは意表の表現に驚いたが、
日本では土門拳が黛敏郎を粗粒子印画でみ
せたり、ぼくの友人岩宮武二の弟子、森山
大道がクラインまがいの作品を発表した。
    
 こうした表現はコンセプトがしっかりし
ていないと亜流と見られるだけである。
 よりシャ−プな技法としてやるなら、後
処理段階でのリスフィルムの的確な使用は
不可欠で、フォトショップなどでは切れ味
悪くだめである。
    
 この際、今後のことを考え、写真の3原
則での写真表現をみっちりやって見ること
を薦めたい。

 

                 
「Pax Japonica」 藤本茂樹
    
 基地でのこうしたサ−ビスの様子がわか
るアングルとして、一応間違いないカメラ
ポジションから撮られている。(下部が少
し不足している。要注意)
 プロはもっと変わったアングルはないも
のかと腐心する。後は、シャッタ−・チャ
ンスだが、よほど根気よく粘って撮れるか
どうか。
    
 「栄冠は君に輝く!?」は、まったくそ
つなく、本人も喜び、パンフレットの表紙
にも使える作品である。
 ところで、このままではどこかで見たよ
うな定型。これをこえ、魅力ある作品への
藤本流がこれからの課題である。

           

   
「ジベタリアン」 成瀬幸恵
    
 この構成では、3人の女性たちは足先まで入れないと落ち着かない。     
 また、一般には主題を明確にするために、白い大きなライオンと女性たちとを心
理的あるいは視覚的な関連づけをするアングルやレンズを選択するものだが、その
辺が曖昧になると訴求力が不足する。
    
 そこには何があるのか、何を伝えたいのか、それを明確にすること。不要なもの
は雑音になる。画面は明快単純な方が強い。カメラ・ポジションとシャッタ−チャ
ンスに集中すること。タイトルは気になる。
      
      
   
「ホワイト・スター」 大住恭仁子
  
 このライティングでは、暗い室内でほのかに白い花が浮かぶような印象が、でき
上がって見ると、花は黒いバックに埋没しそうでガッカリしたのではなかろうか。
    
 その原因の解明は、写真の原則としての立体感、グラデ−ションによる質感描写
という基本の再確認とそれにふさわしいライティングを研究することで氷解する。
ホワイト・スタ−がそれこそ星のように輝く表現には、構成上必要な花に集中して
それらが浮かび上がるようなライティングをていねいにしてすることである。花の
個性を生かすためには、人間並の細やかなライティングをしてやること。
     

    

* タイトルというもの *
     
 ちょっと首をかしげるようなタイトル(題名)がいくつか出てきたので、この問題に触れ
ておく。作品によってはタイトルをつけるのは非常に難しい。一口で言えば、わかりやすく
あっさりと簡明で、品位のあるものが一番良い。気どったものは、いやみで嫌われるし、情
緒的、文学的な題名は、作品の見方を限定して不利である。   
    
 公募展などの審査では、タイトルと作者名が書かれている裏面は原則として見ず、タイト
ルに関係なく、その作品の内容だけで判断するが、時に写真だけでは意図がはっきりしない
場合、係の人に裏を見てもらって題名をきくことがある。               
 そんな時、かなり評価されていた作品が、題名を聞いて急にがっくり、白けてしまい、選
にもれることさえある。題名のつけ方でその作者のお里が知れるといったことである。
     
 最近は、英文のタイトルが流行だが、原則として日本語か日本語化したカタカナの外国語
がよい。横文字は審査の討論時や展示でも印象が薄く、国内では不利に感じることが多い。
 ただ、国際展に出品する時は、ぼくは「銀河系」(The Galaxy)などとする。
    
   
  
      
   (註)
    塾生各位の個々の写真についての質問などあれば、僕が在宅する確率の多
    い週末から週はじめ4日間位に、電話をしてくれば僕が居れば即答できる。
    その時の僕の都合で再度、時間帯を変えて電話してもらうこともある。  
    居なければ家人に在宅日を聞いてもらいたい。           
    僕はパソコンで書くより話す方がずっと楽なので、遠慮なく。   
    (在宅の確認は管理人ゆきに聞いても、だいたいの予定がわかるだろう)

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