<玉井瑞夫繧繝彩色塾>

           ☆  ワンポイントレッスン (10) ☆              月例会先生評(2002年3月)                 < 更なる期待を >     

 今月は、塾生諸君の月例作品を見ながら、ぼくはメンバ−どうしのやり取りにも注目して
いた。以前に比べれば発言もかなり活発で、いい雰囲気、傾向になってきたが、しかし、ま
だまだ遠慮があって、もう一歩踏み込んだ話題に発展しないところが見られ、波立たず、さ
ざなみもないといった太平なところが気になった。
    
 非常に率直にいつて、現段階はまだちょっとした感想のやりとりだけで、スタ−ト間もな
いのでそれも仕方のないことかもしれないが、ぼくの経験ではこれが続くと、かなり退屈な
例会になる恐れがある。                              
    
 その原因のひとつは、出品者自身のその作品にたいする自己主張がないからである。その
ため、見る側は遠慮がちに作者への推量範囲での感想といった発言で終ってしまう。作者の
率直な心理的な制作過程や技術的な内容がわかれば、もっと突っ込んだ意見が展開され、自
信があれば反論もあり、思い違いがあれば反省もする。話題が更に広がり写真文化からさら
に他の文化への飛び火があってもよい。ぼくはそんな研究会的な例会を期待をしている。 
    
 もちろん、ぼくの講座や講評にも、遠慮なくもっと活発な感想や意見をどうぞ。ぼくは最
近は、恥も覚悟でことさらその作品の成立の心理や技法の経過を率直に述べるように努めて
いる。その方がより解り易いと思うからだ。
 現時点の諸君の発言は、批評、評論にはまだ程遠いかも知れないが、いづれはそれぞれが
一家言を持つ写真家になって行くだろう。 夜明はそんなに遠いものではない。

        

< 月例 3月講評 >

   
  さて、今月の作品は全般にその人らしい落ち着きがあり、安心して見られたが、ぼくがう
なるようなものにはお目にかかれなかった。例によってワンポイント・レッスンのテ−マと
して2点の作品を解説し、さらに参考作品でその意図を明確にしておきたい。

    

「一本の白樺」 嶋尾繁則
        
この日の天候は、光がよく動くいいチャン
スに恵まれたようだ。
左上の雲間からもれる光と下部の地上に注
ぐ限定的な明暗のバランスがよい。
一本の白樺は、普通ならここにも光が欲し
いいところだが、この場合はない方が良か
った。ブルーグレ−一色のようなこの空間
の情趣がぼくにはテ−マと思える。
下部は大伸しでは不安定になるので、後少
しほしい。 

                     

  
「オーニソガラム」 阿部政裕
        
清潔で、オ−ソドックス。安心して見られ
る。このところ、影やバックに色を入れる
要領を心得て、この作品では花びらの一部
はガラスのようにも見え、それらも効を奏
している。              
プロはマットの白アクリルを使い、バック
から浅い色光を入れるのが一般で、阿部く
んもついにそれを用意したかと思っていた
ら、これがフォトショップでの作り物。 
ぼくは危うくだまされるところであった。
とにかくこれも一歩前進。 

            
他の諸君の作品にも、ぼくの忌憚のない感想・寸評を述べておきたい。
    
   
「カネノナルキ」 西浦正洋
                             
非常なアップでメインの花がとらえられているが、これを支えもり立てる周囲のつぼみが
雑然としてまとまらず、切れ味不足が難点、モンタ−ジュ時の整理に一考を。この部分が
すっきりしてくると、奥行きのある空間が生まれるからである。
 
「影」 上田寛
   
影そのものは実体のないもの。この手の作品は非常に多いが、成功率の高いものは、複雑
な影ながらオ−ケストラのハ−モニ−のような統一がとれたものか、ややアップなら壁の
質感と影のグラデ−ションとの構成に妙味のあるものが見られる。
カメラポジションの選択と時間帯の変化でハッとする瞬間もある。
    
「ベンチ」 梶山加代子
  
郷愁を感じるような画面。本人にはそれなりの感懐があり、それなりの満足感があろう。
だが、なぜかベンチはむつかしい。ぼくも何回もトライしたが、何とか写真になったのは
犬がベンチに座っているところを、犬の目の高さで撮ったものがあるくらい。
これといった傑作は見たことがない題材、「これならどうだ」といったトライはいかが。
      
「天使」 岡野ゆき
  
まず、光りが硬すぎた。ことに調子の飛んだ足先のハイライトなどは要注意。
天使へのモデリングが引き立つカメラ・アングルの選定がキ−ポイントだ。そしてまたこ
とさらデリケ−トなライティングが不可欠な被写体だ。               
唯一の副材である厚めの本の金箔押し文字へのライティングは、これでよい。
        
「羽客」 成瀬幸恵
  
はじめ、これがフラミンゴだとはわかりづらく、このフォルムが何を意味し、何を表現し
ようとしたものか、作者に聞いてみたいと思った。                 
新人らしい真摯な熱意の程はわかるが、精神的な余裕が欲しいところ。今少しストレ−ト
に被写体を見た方が、物事は広く深くわかってくる。題名はなるべく簡明な方がよい。 
見る人が題名にとらわれて、自由な感情を限定、制約することがあるからだ。
                          

< ク−ルとダイナミズム >    
   
 さて、このところどうしても見る側のぼくには充足感が湧いてこない。その原因は作品が
第1段階のあるレベルに近づき、一応安心して見られるものがでてきたが、要領よくまとめ
ることの方が優先して、肝心の訴える主題の方がまだまだ希薄だということである。   
    
 こじんまりまとまってしまうと中々抜けられない。ぼくは小さな優等生を育てる助けをし
たいとは思わない。ぼくは中年以上の人の指導もしているが、論理もわかり見る目もあるが
作品は、いわゆる模範生から抜けられない人が多い。                 
         
 諸君はまだ若い。感性も若い。新鮮な感性を発揮し、鍛えることができるのは、今しかな
いと思ってもらいたい。とりあえず、ぼくが言いたいことは、体ごとぶっかったような作品
が見たいということだ。小さな出来、不出来は問題ではない。大胆な思いっきりの良さ、野
放図な勇気もいるだろう。ぼくはそんな作品を提出して、討論しあう例会を見たい。
 ぼくは欲ばり。もし、ぼくの希望が満たされ、ぼくがうなるような作品が続出すれば、全
員が大写真家になってしまい、ぼくは最敬礼をするだろう。              
    
 ここに歴史的な大写真家の作品がある。参考作品は、わざと人物写真を選んだ。その方が
かえって分かりやすいからで、これはすべてに共通する問題である。          
 これらの作品の 「何処が、何が違うのか」、それに注目してもらいたい。
    
 いつもつい長々と書いてしまうが、今日は要点のみごく簡明に書くので、各人各様の解釈
をしてもらいたい。問題は、もっと思いきりよくスッキリと、あるいはスマ−トに、またも
っと図々しいパンチがある表現、つまり <スマ−トと骨太> についての話である。 

          アービング・ペン          

黒と白の女性

フランスの女流小説家 コレット

       

 ア−ビング・ペンほど、モデルとファッションの独自の魅力をだすために心をくだいた写
真家はいないだろう。第2次大戦後、ペンはファッション写真界の長老とも言うべき存在に
なったが、それでも毎日早朝からファッション写真と取り組み、苦しんで苦しみぬいた末、
満足する作品ができたのは、午後5時になっていたということもしばしばあったという。
     
 彼は、モノクロで簡潔なム−ドと強烈なフォルムを持つ写真を撮った。彼が撮るファッシ
ョンは若い女性の時間を越えた静謐で美しい記念碑的画像とク−ルなエレガンスがあった。
 この作品はごく初期の代表作で、シンメトリ−を破るのはモデルの目線だけである。コン
トラストをつけるために、口紅の代わりに黒のマスカラ−を使用している。
    
 一転して、彼の肖像写真は、その人物の内奥に迫ってゆく。             
 彼は、有名人を撮ることは、「一種の外科手術であり、生身を切開することだ」いう。 
 彼のこの鋭いポ−トレ−トについての批評は、「フランスのもっとも洗練されたこの小説
家のすべての防御物をはぎとり、やや気まぐれで、一面冷ややかで、人間の欠点の鋭い観察
者でありながら、寛容でもある彼女の性格をよくとらえている。」とある。
 ア−ビング・ペンは、外形に厳しく迫るファッショ写真家であったが、安易にその延長で
人物を撮ることはしなかった。

             エドワード・ウェストン             

ヨセミテ国立公園テナヤ湖にて

上院議員マヌエル・H・ガルバン

   

 エドワ−ド・ウエストンという名前は、どんな細部までも精密に描き出すピントの鋭い写
真と同義語になっている。彼が大風景写真家と言われるのは、左の作品のようなすばらしい
被写体に恵まれたことが原因のようにいう人が多いが、それは大きな錯覚である。
    
 この場所を発見し、こんなすばらしい構成をしたのは、ウエストンそのものなのだ。
 今日では、北海道の美瑛を押すな押すなの観光客が訪れ、かって前田真三氏が立った位置
からサロンピクチャー調の写真を撮り、満足して帰るようだが、これは模作に過ぎず、発表
すれば盗作に等しい。 
 ウエストンのポジションでも同様のことがある。
    
 ぼくは、ウエストンのこの『男』を発見した時、強烈なパンチを食ったような衝撃で目が
釘づけになった。かって彼の風景写真にはじめて接した時も同じだった。        
 ウエストンが撮ったこの男の肖像は、タフでエネルギッシュな男の自然な姿が、ぶっきら
ぼうといえるほどストレ−トにとらえられている。
                  
 これはある日の午後、メコシコの上院議員マヌエル・H・ガルバンが空中に放りあげた1
ペソ貨を撃った瞬間を撮った写真。髪がわずかに乱れ、顔の筋肉が緊張していることで、人
物が動いていることがわかる。普通ならガンさばきも見せるところ、そんな一瞬にこんな顔
だけを集中して撮る写真家も、また珍しい。    
       
 左の風景作品は彼の初期の代表作。いずれにしても、ウエストンが撮る写真は、風景も人
物も植物もダイナミズムにあふれ、共通したその強固な姿勢と表現力がよくわかる。
    
 ☆ 造型は、「単純・明快に見せて、奥深い」のが、最も力強い。

          

< 造型論あれこれ >          
 今回の講座(Part 27)は、人によってはどうも分かりにくく、やや戸惑っている
節も見られると思えるので、ひと言。
     
 造型論といった類のものは、一般に日頃は見慣れない用語を並び立て、理屈っぽいものが
多い。ぼくは若い時、理屈が理屈を呼ぶといった若手の美術評論家と論争し、頑固過ぎて、
ついにケンカ別れになったことがあった。要するにお互いに理屈なるものに負けたわけだ。
    
 造型論のようなものは、知的なアクセサリ−でもなければ、それを知らなければ、ア−ト
が理解できないとか写真が撮れないというものでもない。理論も技術も使い方次第で、便利
にも不便にも、毒にも薬にもなる。
 ついでながら、個性的な表現とは、その技術にあるのではなく、その使い方にあるのだ。
     
    
 数ある造型論の中から、ぼくがモンドリアンの造型論を紹介したのは、彼の理論が実践的
で、ア−トだけでなくごく身近な建築やポスタ−、インダストリアル・デザインの分野にま
で影響を及ぼしたものであったからである。
     
 こうした文章は、本来は原語で読んで理解するのが一番分かりやすいのだろう。    
 この訳文は、メンバ−の中でアメリカに長年住む英語に達者な画家も加わって検討したも
のだが、それでもなお直訳のような生硬な感じがする。しかし、訳者が勝手な意訳をすれば
読む人が意味を取り違える恐れもある。
 モンドリアンの言葉は簡潔だが、その言葉の間には深い意味がうかがわれ、まだかなり難
解といえるだろう。
     
 当時、いずれも若かった僕たち仲間で、これがスラスラ解った者はおらず、この数行の文
字から派生する問題を3ケ月も討論したのは、別に不思議なことではなかった。
 今回の「Part27」の講座で、ぼくがことさら詳しく玉井流の解説を加えなかったの
は、ぼく流の解釈を読む人に押しつけるようなことになっては困ると考えたからである。
 多少時間がかかっても、各個人の自由な姿勢での解釈で、理解し、身につけてもらいたい
からであった。
  
       
 芸術論や造型論には、こんな理論もあるのかといったことを一応知っておくと、多少は役
立つものである。絵画や写真のような視覚芸術は、ぼくが口癖のように言う、「言葉が終わ
るところから始まる」もので、それを理屈を並べて理解しようというのは、本来無理な話、
体で感じ理解するものである。
    
 しかし、ある程度の論理を知ることは、物事を頭の中で整理する時や技法的な事がらの中
で、その理論がヒントになり、役立つこともぼくは時折経験してきた。
     
 芸術論や造型論は、未来への予兆、文化史の一部として知っておくことは一助になる。 
 しかし、論理に溺れ、自分を失っては何にもならない。自分なりの解釈で、ゆっくりゆっ
くり、身につけてゆけばと希っている。
   
   
    
     
(註)
     
   塾生各位の個々の写真についての質問などあれば、僕が在宅する確率の多い
   週末から週はじめ4日間位に、電話をしてくれば、僕が居れば即答できる。
   その時の僕の都合で再度、時間帯を変えて電話してもらうこともある。  
   居なければ家人に在宅日を聞いてもらいたい。           
   僕はパソコンで書くより話す方がずっと楽なので、遠慮なく。   
   (在宅の確認は管理人ゆきに聞いても、だいたいの予定がわかるだろう)
  

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