<玉井瑞夫繧繝彩色塾>

           ☆  ワンポイントレッスン (9) ☆             月例会先生評(2002年2月)                 < 例会というもの >     

 今月の月例会はやや低調であった。でもぼくから見ればそれは予想どうりだった。という
のは、先月は課題<枯れ葉・落ち葉>というテ−マがあり、全員が肩を凝らして課題に集中
するあまり、その翌月は気抜けしたような例会になる例を数多く見てきたからである。  
                                         
 考えてみれば、ホ−ム・ペ−ジでの写真の月例会という特異なケ−スに参加している全員
が一般写真団体の普通の月例会なるものをまったく知らないので、これも他山の石とやら、
今回は参考までに少し述べておくことにした。                    
            
 ぼくはプロ写真家になる前に、写真雑誌の編集者になったが、誌上に『月例会便り』とい
うコ−ナ−があったので、各地の写真団体の月例会の現場を編集長に同行して拝見し、ある
いは単独に取材して、それらのうち特色のあるもの、優れたものを掲載した。また後には例
会に招かれ講師の経験もした。
    
 日本は南北に長く、また表日本、裏日本といった変化もある。一口に写真の例会といって
もそれぞれ豊かな地方色もあれば、内容もピンからキリまでさまざまであった。
 月例会と呼ばれるものには、俳句の吟行や書の添削や一日で描ける一筆画のようなお稽古
ごとを集団で行うものもあるが、写真の場合は単に写真が上手になりたいという域を越えた
作家性の強い集団が多く、当然月例会は月例研究会、研修会、批評・討論会の趣があった。
    
 キリというのは少なかったが、会のリ−ダ−格の認識が甘く、ただの親睦会、お茶飲み会
に終わる例会やメカニズム愛好会、つまりオ−トバイのハ−レ−同好会のようなものは、退
屈至極だった。ピンのほうは、アマチュア写真家でも作品も討論も熱気にあふれ、例会終了
後の喫茶店での延長戦の話も、さらに率直で実におもしろかった。
    
    
 大都市、地方にかかわらず、優れたメンバ−の多い集団は、こうした例会で認められた作
品の集積を展覧会という形での発表会を毎年、あるいは隔年位で行う。また多作な者は各種
の公募展にも出品する。(ただし、公募展は未発表作品に限るので先に応募し、入選した作
品の展示終了後、自分たちの展覧会に出品する。)
    
 さらに会員同志だけでの研究会では、マンネリや偏向、盲点のおそれもあり、より新しい
情報に接し、質の向上をはかるために、年間に1、2度くらいは写真評論家や著名な写真家
を招いて講評を聞き、研鑽を怠らないのが一般であった。だだ、展覧会や講師への諸費用は
かなりかかるので、年会費は相当の出費になるが、個展に比べればはるかに効率は良い。
    
 ぼくは、上京してからこうした数多くの見聞・体験をして、関西で丹平写真倶楽部に所属
できたことが、如何に僥幸であったかを再認識した。
    
 当時の前衛集団といわれた「丹平」のメンバ−には、アマチュアとはいえ数名のリ−ダ−
格の方々は、関東の一般のプロ写真家を越える個性的な写真家といえる力量があった。丹平
東京展の初日には、当時の東京の第一線の写真家であった土門拳、木村伊兵衛、林忠彦、三
木淳氏や各写真誌の編集長など全員見えたことでも注目のほどがうかがえた。 
    
 だから、東京からわざわざ講師を呼ぶ必要もなかったのである。ぼくはそんな大先輩方に
月例会で作品を見てもらえ、メンバ−からの厳しい批評を受け、さらにトライした作品を公
募展に出品していたわけだから、落選が一度もなかつたのは何の不思議もなかったというこ
とになる。秀作はそう簡単には生まれない。一応の水準に達していたということだろう。
     
 写真に限らず、すべて「継続は力なり」。写真表現の手足となるものは、レンズ、感材、
光などの特質、これら物理・化学は知悉するのが当たり前。写真はボタンさえ押せば写る。
筆づかいに何年もかかる日本画などに比べて数段すぐれた最新兵器のようなもの。これを自
らの哲学と磨かれた感性につなぎ、またそれを伸ばす修練は、継続しかない。      
    
 慌てることはない。完成された終点という作品はない。作品は、その人の生きざま、その
折々のメモリ−だ。ゆっくり、大きく構えてやることだ。

        

    

<HPでの月例会>

    
 ぼくは大病をして事のなり行きから、土木出身で写真家になったが、まったくの独学のた
めに多くの人々の恩恵に浴した。それは文化史に現れる歴史上の偉大な先人から現世の諸先
輩、同輩、ずっと若い人々に至るまで、数知れぬほど多くの方々から写真に限らずあらゆる
面で貴重な教えを受けてきた。そのお陰で曲がりなりにも写真家になり、時には独学であっ
たために、ある部分ではかえって自由さが良かったのではと思うこともあった。
      
 そんなわけで、お返しといえば大げさになるが、あえて浅学非才をかえりみず70才から
は、この道でのボランティアに徹しようと考えた。ぼくは1年半ほど前には、HPを見たこ
ともなかったが、「玉井瑞夫インタ−ネット写真展・写真講座」を開設し、生来の好奇心も
手伝って塾をつくり、月例会も開くことになったが、これもその一環である。
     
 前書きが長くなったが、ぼくが特に興味を持ったのは、顔も見知らぬHPでのこうした試
みが、どれだけ通用するか、成果があがるものかということである。          
 独学では「袖すり合うも他生の縁」とか、殊に人間関係が大切だというのが、ぼくの体験
からの一番大きな要点で、物事が成立するポイントは、お互いの誠実さと熱意につきる。こ
れなくしては、「徒手空拳」、「骨折り損のくたびれ儲け」。昔の人はうまい格言をつくっ
たものである。
     
 余談はおいて、本題に戻り今日の提言を。
 ぼくが見聞したすばらしい写真団体の例会は、メンバ−相互の討論のやりとりが活発で、
その間に他のメンバ−からの発言もあり、多彩でケンケン・ガクガクが特色だった。
    
 この塾ももう半年を過ぎた。相手の顔を見ながら発言できないHPでの討論は、遠慮がち
になりがちだが、お互いを信頼し、もっとはっきり自分の率直な感想を述べてはどうだろう
か。更にそのやりとりへの他の人の提言もあってよい。さらにエスカレ−トするのもわるく
ない。時に見当違いの感想・批評もあるのは当たり前。気にすることはない。あまり気にす
ると研究会にならないのだ。
      
 作品は、研究会だから新作、旧作にかかわらず、完成品でなく試作でもよい。あくまで自
分の思うままに何でも提出し、まな板の鯉でよい。もっともこのコイは反論もする。
      
 「丹平」の例会では、天野さんという先輩が2年間、ペンジュラムばかりを提出し、これ
を支持する人とあんなものを何時までやるのだろうと首をかしげる人とが賛否半々に別れた
が、彼は馬耳東風、まったく動ぜず、2年目の終わりに完成したが、「このメンバ−の半々
の意見が励みになった。この例会の場がなければ続けられなかったろう」と後にぼくに話し
ていた。この作品は日本の写真史に創作者として足跡を残し、美術館に収蔵されている。
     
 この講座は一般の写真教室のような営業臭が、まったくないのが特色だ。ぼくは、初心者
時代に「丹平」でうけたような、また瑛九から学んだタッチ・トレ−ニング(精神的、触感
的教育)を基本に、やる気のある人には本音で接し、恥を忍んでぼくの拙作も見せ、知るか
ぎりのことを話そうと思っている。
       
 ぼくは、作者の個性を尊重する。メンバ−間の討論には介入しない。間違いや思い違いか
ら突然変異を起こすこともあり、それも期待する。ただし、質問があればぼくは率直に答え
るし、迷路に入ってしまった時には、ぼくなりの見聞を述べよう。ぼくの見解はあくまで玉
井個人の見方として参考と考えること。また口癖になるが、芸術に数学のようなひとつだけ
の正解といったものはない。
       
 この続きは、また折々に。

< 色だけの写真 >

   
  さて、講評が後になったが、今月もワンポイント・レッスンのテ−マになる事柄を、その
作品のレベルにとらわれず掲載して、感銘に述べることにする。

   

「輝き」 阿部政裕
    
この写真を見て、何を写したものか判る人
は、まずいないであろう。
    
この画面のどこかに、この被写体が柿の葉
っぱだということがわかるフォトジェニッ
クな部分があり、そんな一葉がこんなにも
素晴らしいカラ−ハ−モニ−を見せるもの
かといった作品だったらどうだろう。

            

 画家は主題をより明確に描き出すために、色彩が呼び起こすイメ−ジを利用する。画面中
で核となる色を主題色として、この色を中心に他の色を展開して行く。
     
 色彩は感性に強い力を及ぼす。現代の画家は、固有色にとらわれず独特の色彩をもって絵
を描く人も多い。
 例えば、あらゆる色の存在する世界をある色に統一すると、画面は意図された不自然を生
む。しかし赤一色で描かれた女性像をみて、その赤い顔を酔っ払いとは誰も見ない。
         
 写真で画家のような表現はもちろん自由だが、その表現は抽象的なものになり、かなりむ
つかしい微妙なものになる。第1のステップとしては、写真の基本的な表現特性を生かしな
がらのほうが、将来的には手堅い作品ができるのではとぼくは思っている。

        

  
「雲」 嶋尾繁則
    
阿部くんの不思議な作品の解説のついでと
いうわけではないが、これはスケ−ルは小
さく力強くはないが、気の利いたカラ−バ
ランスの小品である。
                 
何の変哲もない前景の2つの樹木とその縁
どりのような紫の雲、その上のイエロ−の
雲と青空だけのものだが、パステル調の水
彩画のような風情を見せている。    
                   
大きく強い被写体に出会うことはめったに
ない。日頃こんな作品を撮ることも感性を
みがく一助になる。賞を狙うだけが能では
ない。こうした作品の集積も大切だ。
   
大音楽家は大交響曲もつくり、また叙情あ
る短いセレナーデも作った。
    
尤もこの作品は、半切以上にしないと引き
立たない。つまり、冬木の細かくシャープ
な梢の繊細な描写が見られなければ成立し
ないからである。

                 

  < 影で思うこと > 

    

「波紋と倒木」 上田寛
     
同様の作品が西浦くんにもある。
水鏡に映る風景やオブジェ的写真は、写真
発生の初期から数多く撮られてきたので、
よほどショッキングなシ−ンか、変わった
フォルムでないかぎり、注目されにくいテ
−マである。             
                  
この作品は、上部のブル−と波のリズムか
らなるバランスでそつなくまとめられてい
る。これが更に魅力的な個性ある表現には
どんな要素が必要であろうか。

 

       
 水鏡に映る風景では、以前に一度話したことのある白川義員氏のマッタ−ホルンがある。
 彼は1点のさざ波もないシ−ンを狙って季節、天候、時間帯を調べ上げ、何度かのトライ
の後に写しえた作品は、上下に並んだあまりにもシンメトリ−なマッタ−ホルンの倒影のた
めに世界が停止したような不思議なイメ−ジがあった。静かで強烈な印象は、山が大きいと
いうこともあったろうが、非常な労作である。
          
 影でよく問題にされているものには、ムンクの絵がある。ムンクの肖像画には執拗に描か
れた影が見られるが、何時かは迫り来る死の象徴であろうといわれる。
 この影は、フォルム、ト−ンともにかなりデフォルメされたもので、正常な人物との対比
からその画面の後ろに潜む抽象的で普遍性あるもの、分身・存在・不安・死・気配などを感
じさせる。
 写真でも、こうした分野での表現ならスケ−ルの小さな被写体でも可能ではないかとぼく
は思っている。
         

 「道」 岡野ゆき
     
この作品を見た時、一瞬、ぼくならどう撮
るかが頭に映像として浮かんだ。
    
それは画面の半分以上に、泥沼に刻印のよ
うなタイヤの轍があり、その向こうの水た
まりにはこんなささやかできれいな樹木の
映り込みを見ているシ−ンであった。  
                   
もちろん、見過ごしがちなこの対比の感動
を伝えるには、画面は傾けず真正面からの
対決である。もう少し落ち着いて、客観的
に自分の感動を分析し表現構成を選ぶこと
である。

           

  ぼくは、自分のスタジオでの月例会では、メンバ−の討論が紛争し、収拾がつかぬような
場合か、共通した問題点がある時、特に良い芽を見つけた時以外は、メンバ−の個性の自由
な発展を望み、ぼくへの依頼心をさけるため、手取り足取りの講評はせず、各人のブレ−キ
になっているところを気づかせること、年度賞を決めるぐらいであった。
       
 この塾の月例も、あまり変哲もない月は、講評なしということもあるかと思う。ただし、
実際的な質問にはこのコ−ナ−で答える。基本的なことは写真展・講座を熟読すれば良くわ
かるようにと努めているつもりである。
    
(註)
     
   塾生各位の個々の写真についての質問などあれば、僕が在宅する確率の多い
   週末から週はじめ4日間位に、電話をしてくれば、僕が居れば即答できる。
   その時の僕の都合で再度、時間帯を変えて電話してもらうこともある。  
   居なければ家人に在宅日を聞いてもらいたい。           
   僕はパソコンで書くより話す方がずっと楽なので、遠慮なく。   
   (在宅の確認は管理人ゆきに聞いても、だいたいの予定がわかるだろう)
  

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