<玉井瑞夫繧繝彩色塾>

      

☆ ワンポイントレッスン (4) ☆

      月例会先生評(2001年9月)       

  9月の例会は、異常な猛暑明けということもあってか、やや散漫、焦点が定まらな
いといった印象を受けた。                          
     
 しかし、何らかの変化を求めたい気分の現れか、ライティングへの興味を持ち始め
た気配を感じる。また多重露光(モンタ−ジュ)にも変化が見られる。塾生諸君にと
って、テ−ブル・トップフォトはまだやっと手をつけ始めたところ、かなりぎごちな
いが、手始めは誰しも同様で気にすることはない。ちょっとしたコツを会得すれば急
に面白くなる。やがて戸外撮影でもこれまで気がつかなかった光を読みはじめるよう
になる。それまでぼくは黙ってそっと見ていようと思う。
     
 今回は出品作の中からワンポイント・レッスンとして、岡野君の作品を題材に
  解説をする。

         < 空間構成とトリミング >    

 この前、写真には2回のチャンスがある、つまり、撮影時とコンタクト・プリント
(密着)からの選択という2回のチャンスがあることを述べた。
 今回は、岡野君の2点にある問題点を、積極的なトリミングの必要な例として取り
上げ、そのキ−ポイントを解説することにした。                
       
 トリミングは、自分の意図を明確に伝えるための最後の「つめ」の作業である。 
僕が加えたトリミングとグラデ−ションの調整を原画とよく比較し、各自の研究資料
としてもらいたい。

   

「かまきり」  岡野 ゆき

「かまきり」 原画

    

 僕は、この写真を見た時、昆虫の静物写真を見るようなやや薄気味の悪さを感じた
が、かなり良くできた作品だと思う一方、ニュ−ヨ−クで夜おそく撮ったティファニ
−のウインド・ディスプレ−を想い出した。これで「ヤマゴボウがダイヤのブロ−チ
ならピッタリだ」と思った。
    
 ティファニ−のウインド・ディスプレ−は、金色の針金状のワイヤ−を曲げてつく
った蝶やカブト虫に、アクセサリ−のネックレス・宝石などを組み合わせた構成で、
窓枠を絵の額縁に見せた中々しゃれたものであった。やや暗い夜の舗道に面して、幾
つかの窓が光り輝いていた。
    
 余談が長くなったが、たまたま岡野君のこの写真のライティングは、偶然といって
は失礼だが、非常にデリケ−トなバランスを持つており、われわれが宝石の撮影で行
われるライティングになっている。これで被写体が光り物といわれる宝石なら、ちょ
うどいいバランスで程よい光芒を放つ。(もっと強いライティングだとハイライトが
飛んでしまうし、弱ければフラットで写真にならない)
    
 さて、僕が行ったことは、「原画の左上端の採光の扱い方は、ライトを意識させ過
ぎるので、上部1センチ位をカットする。次に右側の空間処理が曖昧なために、やま
ごぼうの先端と画面の端との微妙なバランスを見ながら少し切りつめる。そして、最
後にややコントラストを上げる」ことであった。
                                  
 空間は余白ではない。空間は被写体と一体になって、存在感を高めるものである。
空間にもしゃべらせることである。僕の施したトリミングの意図は、画面全体で語ら
せることであった。                             
    
(僕は原画を見た瞬間、「このままの構成では、バックの中央部に被写体が何となく
 置かれているだけ、余白にかこまれて真ん中だけでしか語らない。こじんまりと収
 まって頼りない」と感じたのだ)
    
 このトリミングの結果「右側のややきりつめられた空間は、狭くなったにもかかわ
らず、かえって外への広がりを感じ、コントラストが上がり明るくなった左奥の空間
は、はるか遠くにつながる空間に感じるだろう。またこの両者によって時間(動き)
をも感じるだろう。更にやや明るくなったグラデ−ションは被写体をバックから浮き
上がらせる効果があるだろう。」ということである。 
    
(宝石など小さくデリケ−トなものでは、半透明のバックの裏側から軽く照明するこ
 とが多いが、強過ぎると影がなくなり存在感が損なわれるので、そのバランスには
 細心の注意を払う。)
    
 空間構成は、非常にむつかしい。僕は撮影時に神経を集中して構成し、後処理で救
おうとすることはしない。しかし、条件が整わず撮影時に出来なかったこと、あるい
は気づかなかったことは、トリミングによる最後の「つめ」を行う。もちろん、空間
処理が余りに散漫な撮影ではどうにもならない。
    
 僕は、画面のフレ−ムというものは、原則としてその被写体に従った比例があると
思っている。絵は自らの絵筆で描き込むために、ほとんどは決められた比例の既成画
面でも成立する。(ただ、ゴッホの「烏の群れ飛ぶ麦畑」のように1:2の横長いキ
ャンバスに描かれたものは、最初からの作者ゴッホの意図である)        
    
 当然のことだが、写真では風景はじめ多くは、そこに存在する被写体を切りとって
構成するために、カメラのフレ−ムにとらわれるのは本末転倒だと思う。
(初めての35ミリカメラ、ライカは映画用のフィルムをそのまま使ったので、コ 
 マ送りの関係から黄金分割比例より横長くなってだけの話で、これにこだわる必 
 要はまったくない)
    
 もちろん、ぼくはコマ−シャルではカレンダ−などで意図的な正方形の構成をする
こともあるが、自主的な作品ではまったく自由なフレ−ムで構成するので、ほとんど
同比例のフレ−ムの作品は少ない。

               

「無題」  岡野 ゆき

「無題」 原画

    
 この原画を見た時、ぼくは岡野君がハラハラしながら小さな娘の冒険を撮っている
様子が目に見えるようで、そんな余裕のなさ、状況がこの写真から窺われた。
     
 そこで、ぼくが撮るならどうするかという答を、トリミングで示すことにした。
 僕の場合は、長年の習性で最終的なプリント画面に近いものが、脳裏に映像として
浮かび、ほとんど本能的に構成が決まる。この場合は、小さな冒険(いや子供にとっ
てはとても大きな冒険)を表現する場面構成は、こうした緊張感のある、傾斜したト
リミングで意図を強調するのが一般である。               
 またこの大きなネコのような漫画は主要な題材であり、あわせて明確な表現にする
ために、やや明るくコントラストも強調した。               
     
 作者がカメラを引き、地面を入れて高さを表現した構成は適切である。天部は、青
空と雲のあり方も、やや多めの空の分量も丁度よい。
 写真では、絵のように自由なデフォルムは出来ない。しかし、現実のありのままを
写しながら、レンズの性質を利用したデフィルムは可能であり、その意図によっては
写真的造形を強調して達成することが出来る。
     
 原画のカメラ位置は、この壁のような板壁の中央に近い場所からの仰角撮影のため
に普通の台形になって見えるが、もう少し左右に寄って撮れば、更に変形した台形に
なる。それは短焦点レンズほど極端な形になるが、過ぎれば奇異な感じになる。被写
体が化け物ならそれでもよかろうが、一般にはかえつて弱い表現になる。     
     
 どの程度のデフォルムを選ぶかは、他の要素とどんなバランスでの構成をとるかが
ポイントになる。これらは、レンズの物理的な性質と描写だから、日常から理解し身
につけておくことが大切である。

   

 (註)
     
  塾生各位の個々の写真についての質問などあれば、僕が在宅する確率の多い
  週末から週はじめ4日間位に、電話をしてくれば、僕が居れば即答できる。
  その時の僕の都合で再度、時間帯を変えて電話してもらうこともある。  
  居なければ家人に在宅日を聞いてもらいたい。           
  僕はパソコンで書くより話す方がずっと楽なので、遠慮なく。   
  (在宅の確認は管理人ゆきに聞いても、だいたいの予定がわかるだろう)

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