クルスクの新聞、ゴロドスキ イズヴェスチアに掲載された訪問の記事の翻訳文
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ゴロドスキ イズヴェスチア(1998,8,15)

−合 気 道−
<日本人の一行がクルスクを訪問しました>
 数台の車が道路の何かにつまづいたりへこみにはまったりしながらレーニン通り31番
地のある建物の中庭の入ってきて、3番目の入り口の前にあった大きなみずたまりの傍に
止まった。康男氏が笑いながら、「私の国ではたとえ田舎でもこんなことはありません」
と言った。愉快な日本人一行はまだこの時、蒸し暑く狭い地下室が彼らを待ち受けている
ことを知らなかった。クルスクの武道家らにとっては親しい場所となっているこの地下室
へ行くには漢字が書かれたドアを開け、いくつかのふぞろいな階段を降りなければならな
い。宇野憲司氏はそこで転びそうになった。日出ずる国からの客人を口シア的なそうした
些細な出来事で迎えた後、我々の伝統であるパンと塩と美人で歓待した。宇野氏は大きな
声でおごそかに挨拶を述べると、品定めするかのように素早く道場に目を走らせた。そし
て余計なことは一切口にせず、「私達の訓練」をやって見せるよう指示した。同時に氏は
市長と面談した時着ていた背広のままで何かを熱心に教え始めた。確かに、仕事や技能に
おいてはどんな条件も(たとえ条件が揃っていなくても)妨げにはならない。つまり技能
において大切なのは実技なのだ!
 ほんの10日前このジムに全員が集まって、今治から客人を迎えるための出資金を可能
な範囲で仲良く出し合った。イーゴリ・ドミートリエフをはじめとするクルスクのトレ−
ナ−らの努力にもかかわらず、スポンサ−が見つからなかったからである。彼らが合気道
の選手権に参加するために日本へ行く旅費を冬ごろから募った時でさえ、地元で支援して
くれたのはたった3人だった。大抵は「日本人が我々の所へ来る筈がない!・・・」と
言って断られた。
 しかし、日本人はやって来た。市の首席次長であるビクトル・クーノュコフとの懇談の
席で、「クルスクの滞在中、何かお手伝い山来ることがありますか?」との質問に対して、
宇野憲司氏は短く簡単に、「ドミートリエフと彼のクラブを援助してやって下さい」とだ
け答えた。市長室での公式的な会談はすぐに終わったが、終始非常になごやかでうちと
けたムードだった。
ここで少し客人に付いて紹介しておくと、まずは師範(先生)の宇野憲司氏。彼は日本
合気道協会(JAA)の常任理事である。そしてJAAの幹部である野間康男氏、今治チ
ームの監督である小沢知志氏、そしてチャーミングな通訳恭子さんという構成だった。
 彼らはクルスク滞在中、午前中はセミナ−、午後は自然の中ヘドライブに行くというふ
うに過ごした。宇野氏は全ての日程の最後に、クルスクの自然をはじめ教会、女性、その
他多くのもの、そして何よりも「素朴な仲間たち」との付き合いが気に入ったことを打ち
明けた。
 そして今回の出会いの具体的な成果として、数十人の我々の仲間に対して日本の専門家
による昇段審査が行われたことがあげられる。そして、クルスクの合気道クラブは日本の
協会の認定を受け、イーゴリ・ドミートリエフには初段と黒帯が与えられた! 要するに
今回の訪問は歴史的な第一歩であったと言える。少なくともクルスクの地下室で見せた宇
野憲司氏の投げ技は歴史的な意味を持つこととなった。この日よりクルスクの合気道は新
しい時代に突入した(少なくともそう信じたい)。一方行政も我々の武道家らの熱意に手
を差し延べるだろう。  B・コスチン  写真 コンスタンチン・クルベニン

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セミナーを終えて(ロシア美人に囲まれて) 日露友好の握手!

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